六番目の小夜子 - 書籍情報- 著者:恩田陸
- 出版社:新潮社
- 作品刊行日:1992/07
- 出版年月日:2001/01/30
- ページ数:339
- ISBN-10:4101234132
BOOK REVIEWS
六番目の小夜子というタイトルを聞いてあなたはどんな小説だと思いましたか?恋愛小説?冒険小説?ファンタジー?ミステリー?ホラー?それが一体どんな小説なのか、内容を読んでみないとわからないタイトルというのは小説ではよくある事だと思います。
6という数字、小夜子という文字から、なんとなーくホラーかな?というイメージを持つ人もいるでしょう。そして実際『六番目の小夜子』はSF・ホラー・ファンタジーにAmazonやWikipediaではジャンル分けされている作品です。
しかし、読んでみた後でも「一体これが何のジャンルに属すのだろう?」とわからない小説はそう多くはないのではないでしょうか?
実のところ、僕は何の前情報もなく、ただ単に芥川賞と直木賞を同時受賞した人が面白い小説として『六番目の小夜子』の名前を挙げていたからという理由だけで読み始めたのですが、読み終わってから、暫くの間、これは何のジャンルなのだ!?と頭を抱えることになったのです…
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小説『六番目の小夜子』 – 恩田陸・あらすじ
学校に伝わる伝説“サヨコ”。それは3年に1度、誰にも知られずにサヨコに選ばれた生徒が学園祭でサヨコを題材にした劇をし、その出来栄えによってその年の大学合格率の良し悪しが決まるという不思議なものだった。そして今年はサヨコの年。サヨコ伝説の開始を告げる赤い花が飾られクラスが騒然とする中、津村沙世子という転校生が引っ越してきたのである…。恩田陸、伝説のデビュー作。
読書エフスキー3世 -六番目の小夜子篇-
前回までの読書エフスキーは
あらすじ
書生は困っていた。「一体、王女はどっちの扉を!?どっちどっちどっち!!」と仕事中に寝言を言ったせいで、独り、無料読書案内所の管理を任されてしまったのだ。すべての本を読むには彼の人生はあまりに短すぎた。読んでいない本のおすすめや解説をお願いされ、あたふたする書生。そんな彼の元に22世紀からやってきたという文豪型レビューロボ・読書エフスキー3世が現れたのだが…
六番目の小夜子 -内容紹介-
大変です!先生!恩田陸の『六番目の小夜子』の事を聞かれてしまいました!『六番目の小夜子』とは一言で表すとどのような本なのでしょうか?
…と、言いますと?正直な所『六番目の小夜子』は面白い本なのでしょうか?
こんなゲームを御存知であろうか。
引用:『六番目の小夜子』恩田陸著(新潮社)
コンナ一文カラ始マル“恩田陸”ノ1992年の長編小説デス。読メバワカリマス。
えーっと、それでは困るのです。読もうかどうか迷っているみたいですので。ちょっとだけでも先生なりのご意見を聞かせていただきたいのですが。
読む前にレビューを読むと変な先入観が生マレテシマイマスノデ…
ええい、それは百も承知の上!先生、失礼!(ポチッと)
ゴゴゴゴゴ…悪霊モードニ切リ替ワリマス!
うぉおおお!先生の読書記録が頭に入ってくるぅぅー!!
六番目の小夜子 -解説-
この作品は、あえて恋愛やホラー、ミステリーというようなジャンルわけをしないでおいた方がいいかもしれませんね。
破天荒な高校生が低迷している出版業界に一風吹かせるっていう漫画なのですが、その中で芥川賞と直木賞を同時受賞した主人公が面白い小説として『六番目の小夜子』を挙げていたのです。
芥川賞と直木賞を同時受賞!? 実際に柴田錬三郎という作家が『
イエスの裔』で両方の候補に挙がった事がありましたけど、結局、直木賞でしたよね。それを同時受賞だと!?
まー、漫画の中の話、フィクションですからね。でもですね、この漫画の7巻P149で、高校生の文芸部員たちが古今東西「面白い小説」!とかやってるのです。村上春樹の『
風の歌を聴け』とか、綾辻行人の『
十角館の殺人』、J.D.サリンジャーの『
ライ麦畑でつかまえて』とか挙げて。
お。それら全部読みました。確かに面白かったです。
とりあえず漫画で挙がったタイトルを全部リストアップしてみると…
これらが古今東西の中で色んな部員が言った作品。そして猪又コウジ『火の川』という作品が挙がった時点でダウト!と声がかけられこの古今東西は終了するのですが。
猪又コウジの『火の川』なんていう作品は実際には存在しません。漫画の中の小説家、猪又コウジが書いた作品なので。
あー、なるほど。それならダウトー!って言いやすいですね。
でも、逆に言えば、その他の作品は全部存在するわけですよね?
実際に私は大学生のうちに名前が挙がった作品は読みました。蘇える金狼以外。
ん?先生も大学生の時があったのですか?ロボなのに?
しかし、やはり気になるのは主人公の言った作品でしょう?この響という主人公はカリスマで、芥川賞と直木賞を同時受賞したっていう設定なのですから。
響。この漫画の中で主人公が書いた具体的な文章は出てこず、響が本当にスゴイのかは想像するしかありません。その想像の手助けをするのが、響きがオススメする小説は何か?だと思うのです。そして挙げた作家が恩田陸。
私はそこで、うーんと唸ってしまいました。…というのも、実は大学生の時に恩田陸が講師を務める授業が取れたのです。
あまりに身近に触れ合える機会があると、どれだけ素晴らしいものでもありがたさを感じられないもののようで、恩田陸とは私にとってそんな作家。大学の先生が書いた作品。とりあえず買っとくかと本棚に飾っておくだけの存在でした。
あぁ。なんとなくその感覚はわかる気がします。実際、僕も身近に芸能人がいて、テレビでちやほやされていても、ん?そんなにすごいのか?身近すぎてわからんって感じしますもん。
恩田陸は早稲田出身、なおかつ先生を務めているというのもあって、早稲田大学の生協で平積みされていて、割引の効く書籍でした。…ってなるとやっぱりどうしてもイメージが良くない。まぁ、そんなのは言い訳なのかもしれませんが。あの時の私は同じ早稲田出身の作家でも手の届かなそうな存在の村上春樹が大好きな人間でしたし、なんとなく恩田陸と北村薫の違いすらわからないようなクソ大学生でもありました。
そーいえば、生協だと本がだいぶ安く買えましたね。古本より新品の方が安い時とかありました。素晴らしい環境だったな…。
が、今回、意を決して『六番目の小夜子』を読んでみて驚きました。なんだこの小説は…と。一体自分はどんなジャンルの小説を読んだのか、巻末の綾辻行人の解説を読むまでわかりませんでした。これがホラーだと?これがミステリーだと?
え…。そんな事ありえるんですか?わかりそうじゃないですか。ミステリーなんて特に。人が殺されて、探偵役がいて、謎を解いていくって感じで。
この小説には、ホラーと言えばコレ!的な幽霊は出てこない。ミステリーと言えばコレ!的な殺人も起きない。そしてついには謎も明かされない。
えー!?なんじゃそりゃー!それじゃホラーでもミステリーでもないじゃないですか。
ただ。ただですね。なんとなく不気味でページをめくってしまう。そんな感覚です。まぁ、普通に考えると、サヨコって誰やねんっていう謎解きなのかな?とも考えるでしょ。でもそうじゃないのです。
うーむ…。謎も明かされないとか。面白いのだろうか、それって。
正直に言えば、もしこれがミステリーなのだとしたら、最後まで読んでこんなに種明かしされない小説ってなんやねん!とキレる人がいるかもしれません。
伏線張るだけ張って回収しないんかい!と。風呂敷広げっぱなしかい!と。
なります、なります。ミステリーってその伏線回収に驚きやカタルシスを感じるものでしょう?
さらに、もしこれがホラーなのだとしたら、もっと追い込んでこいや!誰かに追い掛け回されたりしないやんけ!…と不満が出るかもしれません。
ゾンビとか、ジェイソン的な殺人鬼に追いかけ回される定番なホラー展開ですね。あれはゾクッとします。
聞こえが悪く言ってしまうなら『中途半端』という言葉で表現できてしまう小説になります。でも、この小説は不気味で不安定で不完全燃焼で面白いのです。
不気味で不安定で不完全燃焼…。スリーネガティブ…。
結果的に、読み終わった後に、すぐにでも、もう一度読みたいと思える作品になりました。結局もう一度読んだからと言って、おお!そういうことだったのか!という新しい発見はしないんですけども。
不思議です。本当に不思議。何がそんなに不気味さを生み出しているのか。ただ単にどこかで聞いたような感じがする学校の謎を取り扱った物語なのですが。
う〜ん…。そ~いう学校の謎系の話って完全にイメージが先行しちゃってますよね。僕の学校には謎なんてなかったですし。トイレの花子さんやコックリさんですらありませんでしたよ。現実にはなかったけど、でもなんか聞いた事あるんだが…っていう。
この小説に出てくる登場人物でさえも、みんなそんな感じの存在なんです。リアルっぽいのに、ちょっとじっくり考えてみれば、実際にはそんなやついないんだよなぁ…っていう登場人物ばかり。
学校に対して頭の中に作り上げている先入観ってやっぱりありますよね。メガネの学級委員長とか、窓際で本を読む美少女とか。…いなかったけどね!うちの学校ヤンキー校だったからね!
恩田陸の綴る物語。話は確実にフィクションであり、作り物なのですが、ノンフィクションな気もしてきてしまう。絶対ないんだけど、絶対とは言い切れない。なんだこの作品は。っていのが率直な意見です。
ステレオタイプをうまく利用した作品なんですかね。
ステレオタイプ。確かにそう言ってもいいかもしれませんね。その固定観念とのズレが不気味さを生み出しているのかも…。あ。ズレと言えば、驚いたのはWikipediaです。
六番目の小夜子。確かにその項目がありますよね。
このページであらすじが紹介されているんです。でも、そのあらすじは確実に私が読んだ『六番目の小夜子』とはぜんぜん違うんですよ。
ドラゴンボールのハリウッド版を観た時ぐらいのビックリみたいな?
Wikipediaにあらすじは載っていますがイメージとズレているんです。私が読んだ『六番目の小夜子』のあらすじはこうです。
学校の伝説に「サヨコ」というものがある。それは3年に1回行われる。毎年開催ではないため、前回の「サヨコ」の行事を見た生徒は在校生にはいない。誰かが「サヨコ」に選ばれ「サヨコ」は自分が「サヨコ」であることは誰にもバレてはいけない。そしてバレずに色々と準備を進め、学園祭で「サヨコ」を題材にした劇をする。
その劇が大盛況に終わるとその年の合格率は良く、失敗に終わると合格率が悪い。そんなジンクスのある伝説。3年に1度行われるという事は、当然兄や姉がいる人はそのサヨコの話を知っている人もいるわけですが、この小説の主人公は自分の兄姉が「サヨコ」だった関根秋という優等生。
そうです。今年はちょうど「サヨコ」の年だし、偶然なのか、自分の家族も関わった事があったから「サヨコ」に興味を持って探偵チックなことをし始めるのです。主人公の秋くんが。
しかし、今回はイレギュラーな事が起きるんですね。それは津村沙世子の転入。あれ?サヨコって名前の子が引っ越して来ちゃったけど!?なに!?サヨコと関係あるの!?みたいな。そんなあらすじです。
Wikipediaの話と全然違うじゃないですか。
でしょ?そもそもの主人公から違う説明です。秋くんじゃないんですよ。Wikipediaのあらすじでは…。
うぉ…。なんか怖い。でもあれじゃないんですか?あのそのサヨコが誰かを巡るミステリーっていう大筋がブレてなければ大丈夫だろう!って感じで。Wikipediaって誰でも編集出来るわけですし。
その大筋でさえ、『六番目の小夜子』の4分の1ぐらいの所で今年のサヨコは誰だか明かされちゃいますけどね。
あれ!?サヨコは誰かを当てるミステリーじゃないんですか!?
実は、サヨコの謎解きはそれほど重要な謎要素ではないのです。でもですね、サヨコが劇を演じるってあったじゃないですか。その劇の部分。そこがもうどうしようもなく不気味。ページめくるのを止められないぐらい不気味。ここで読むの止めたらなんか変なのに取り憑かれるんじゃないか?と思ってしまうほど不気味。
そして読み終わりもスッキリしない。爽やかに終わるけどスッキリしない。だからもう一度読みたくなる。そんな不思議な小説。
ちょ…っ。スッキリしないんっすか。取り憑かれっぱなしですか!?
恩田陸とはこんな作品を書く人なのか。と、後で調べてみると、デビュー作だった事を知り、さらに驚愕。最初にこの作品を手に取っていたなら絶対に大学時代に恩田陸を全作品制覇していたと思います。それぐらい強烈な印象を私に残した作品でした。
ちなみにこういう物語中に示された謎に明確な答えがないまま終わる形をリドル・ストーリーというのです。
へー。リドル・ストーリーって言葉を初めて聞きました。
芥川龍之介の『
藪の中』とかがそういうやつです。真実は藪の中である。
あ!それは読んだことあります。確かにラストまで読んでもスッキリしませんね。
『藪の中』ってスッキリはしませんが、読んでいる時は面白いわけでしょう?読者が補完しなきゃいけないのですが、そういうのが嫌いじゃないのでしたら『六番目の小夜子』はオススメです。
スッキリしないといえば、夏目漱石の『
こころ』とかもそうですよね。ラストまで読み終えて、「んで、結局先生どうなったんじゃい!」って叫びましたもん。
興味が湧いたら
Amazonのレビューを読んでみましょう。リドル・ストーリーについて言及している人もいらっしゃいます。さらに
リドル・ストーリーってのがWikipediaにも載っていまして。
お!この女か虎か?っていう話面白いですね!一体、王女はどっちの扉を!?
批評を終えて
以上!白痴モードニ移行シマス!コード「ケムール・ボボーク・ポルズンコフ!」
「一体、王女はどっちの扉を!?どっちどっちどっち!!」…って、あれ?僕は一体何を…。
何をじゃないよ!仕事中に居眠りこいて!なにが「どっちどっちどっち!!」だよ。どっちどっちうるさいよ!
え?あれれ?読書エフスキー先生は?
誰だそれ。おいおい。寝ぼけ過ぎだぞ。罰として一人でここの案内やってもらうからな!
えーっ!?一人で!?で、出来ないですよ〜!!
寝てしまったお前の罪を呪いなさい。それじゃよろしく!おつかれ〜
ちょっ、ちょっと待って〜!!…あぁ。行ってしまった。どうしよう。どうかお客さんが来ませんように…。
…あのすいません、六番目の小夜子について聞きたいんですが。
(さ、早速お客さんだーっ!!ん?でも待てよ…)いらっしゃいませー!恩田陸の作品でございますね。おまかせくださいませ!
あとがき
いつもより少しだけ自信を持って『六番目の小夜子』の読書案内をしている書生。彼のポケットには「読書エフスキーより」と書かれたカセットテープが入っていたのでした。果たして文豪型レビューロボ読書エフスキー3世は本当にいたのか。そもそも未来のロボが、なぜカセットテープというレトロなものを…。名言や気に入った表現の引用
「一杯の茶を飲めれば、世界なんか破滅したって、それでいいのさ。by フョードル・ドストエフスキー」という事で、僕の心を震えさせた『六番目の小夜子』の言葉たちです。善悪は別として。
朝の学校は、なぜすべての罪を忘れたかのように新しいのだろう
学校というのは、なんて変なところなのだろう。同じ歳の男の子と女の子がこんなにたくさん集まって、あの狭く四角い部屋にずらりと机を並べているなんて。なんと特異で、なんと優遇された、そしてなんと閉じられた空間なのだろう。
いつも新学期の初めに学校に入る時、非日常的な空間に入っていくようなブレをほんの一瞬感じるのだが、その感覚がいつもより強かったような気がしたのである。
何千という数の、たくさんのうちの在校生、卒業生たちがこの物語を聞いているとは。しかも、その物語は一つ一つ微妙に違い、さらに少しずつ変化したさまざまな物語を毎日生み出し続けているのだ。
生徒たちのほとんどにとっては、それは通学路の風景と同じだった。毎日目にしてなんとなく知っているつもりでいても、いざ目の前からなくなってしまうと全く思い出せないという類いのものなのだ。
なんということだ、俺は気が違いかけているぞ、こんな、生まれ育った家の自分の部屋、世界で一番安全で、世界で一番心地好いはずのこの部屋で、一歩も動かず、ただこうして後ろを振り返ったということだけのために。
夏はうんざりするほど暑く、重たげに、ゆるやかに過ぎていった。 後期の講習が始まり、四人は毎日のようにお茶を飲んではとりとめもなく話をした。本当に他愛のない話だった。子供の頃の思い出、学年の噂話、よく見たテレビ番組。それがなぜこんなにも楽しいのかよく分からなかったが、それでも全然飽きなかった。四人はせきたてられるようにしゃべりまくり、つまらない冗談でも大笑いした。ちょっとでも話がとぎれるのを恐れているかのように、まるでこの夏に話をしておかなければ一生会うことができないかのように、毎日お互いの姿を求めて集まっていた。 なんでこんなに必死なんだろ、俺たち。
四人は真正面を向いて心地好くバスに揺られた。ぽっかり真四角に切り取られた運転席の窓から見える風景が、映画館の一番うしろから見ているスクリーンのようだった。
日本て学歴重視の割には学問の地位低いもんね
あんまり両親が優秀すぎると、血がぶつかりあって子供がアホになる
他人が自分の中に踏み込んでくるのが怖い ─ ─他人の中に踏み込んでいくのも怖い ─ ─自分は他の大勢の人間とは違うのだ ─ ─自分の心をほんのちょっとでも掘り返せば、そういう感情が山ほど転がり出てくるのを秋は知っている。自分の傲慢さ、薄情さ、小心さが、自分の撮る写真を通して他人にバレるのを彼は何より恐れていたのだ。
目に見えないものを毎日机に向かって勉強して、その目に見えないものができるかできないかで大学に入れるかどうか決めるわけだろ。うーん、非現実的だよな。でもこれが現実なんだよね。みんな、今勉強してる内容が全然役に立たないこと分かってる。大学受かったら、いや入試が終わったら一晩で全部忘れちまうこと分かってて、それでも親も先生も頑張れっていうんだよな。そりゃあ、受かったら嬉しいだろうし、親も先生も喜ぶ。でも、それって何が嬉しいんだろ?行くところが決まったから?いいところに就職できるから?四年間遊べるから?じゃあ、落ちたら何がつらいんだ?よく考えると別につらいことでもないんだよな。ただみんなが寄ってたかってつらいぞみじめだぞとおどかすから、ものすごくおっかないことのように思えるだけでさ。これって不思議だよなあ
受験勉強は、しばしば当事者を運命論者にさせる。 今、必死に勉強をしているこの時期、もう来年の自分の運命は決まっているのだろうか。決まっているに違いない、と苦しまぎれに思う。もう決まっているのならば、あがいても焦っても仕方がないのではないか?できることなら、その運命の日までの時間を日めくりのごとくむしりとって覗き込んでしまいたいと思う。しかし、相変わらず学校は毎日朝八時三十分に始まるし、一時間目から六時間目まで順番に授業は行われるし、試験問題は一問ずつ考えて、一問ずつ答を書かねば埋まらないのである。
まず、自分の人生を断ち切った者に対して怒る。どうして?なぜあたしが、今ここで?そこでまずさんざん怒るでしょ。そのあとは、そう、次はこの学校に対して怒るわね。ここに来たばっかりに、そんなつまらない行事に関わったばっかりにこんなことになったんじゃないかって。そしてそのあとは、自分と同い歳の、この先も長い人生のあるみんなに対して怒る。わたしはもう終わっちゃったのよ!なのにどうしてあなたたちはまだ先があるの?わたしはもう死んじゃったっていうのに、なぜそんな平気な顔、当たり前の顔して生きていくの、ってね
さしたる感動もなく、今年最後、実質的には三年間の最後の授業が終わり、生徒たちは静かに帰っていった。そう、物事の終りというのは意外とあっけないものなのだ。
引用:『六番目の小夜子』恩田陸著(新潮社)
六番目の小夜子を読みながら浮かんだ作品
綾辻行人の『Another』ですか。
ちょっとグロテスクですが、誰が“もう一人”なのか?ずっとクラスに流れる不穏な空気が似てるのかなぁ…と。アニメ化もされています。
レビューまとめ
ども。読書エフスキー3世の中の人、野口明人です。
食わず嫌いだった恩田陸。まさか彼女がこんな作品を書くとは…。もっと大学時代に触れておけば良かった。ドストエフスキーや村上春樹、伊坂幸太郎を貪っていた自分。
あの頃のような読書方法を久しぶりにやってみたくなりました。気に入った作家は出版順に全部読むという読書方法を。
という事で、これから少しの間は恩田陸の作品を最初から全部読んでいこうと思います。そう思わせるには充分過ぎるデビュー作でした。
日本人の作家はどの翻訳を選べばいいか悩まなくていいのがお財布に優しいですね。ここんところずっと海外作家ばかり読んでいた気がするので。
恩田陸月間。一ヶ月でどれくらい読めるんだろう。あまり記事を更新できていなかったので良い軸になりそうです。
漫画きっかけで読み始めたけど、こういう作品の数珠つなぎっていいですよね。…恩田陸を読み終えたらどうしよう。恩田陸の作品の中に次に繋がる作品が見つかればいいけど。
ではでは、そんな感じで、『六番目の小夜子』でした。
ここまでページを閉じずに読んで頂いて本当にありがとうございます!
最後にこの本の点数は…
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六番目の小夜子 - 感想・書評
六番目の小夜子¥ 590
- 読みやすさ - 83%
- 為になる - 74%
- 何度も読みたい - 82%
- 面白さ - 88%
- 心揺さぶる - 87%
83%
読書感想文
体育館での連呼の部分は名場面。久しぶりに没頭するという感覚を味わいました。極限に振り切った恐怖ではなく不安定な恐怖を是非一度体験してみてください。