- 著者:ダン・シモンズ
- 翻訳者:酒井昭伸
- 出版社:早川書房
- 作品刊行日:1997年
- 出版年月日:2002年11月30日
- ページ数:1420
- ISBN-10:4150114234
エンディミオンの覚醒というダン・シモンズのSF小説。この作品でついに4作続いたハイペリオンシリーズは終わります。終わってしまうのです。
ですが、これがなんとも長い長い!
上下巻合わせて1420ページもある超大作。その中身といえば、今までの3作品のそれらとは全く違う攻め方で僕らを魅了していきます。
もしかすると3作品までは読めたけれども、最後の最後で挫折したという人もいるかもしれません。
それはなぜか。
この作品はとにかく「哲学」なのです。
わかりやすい冒険譚だった前作『エンディミオン』から一変して、一人語りの多い哲学もの。
仏教やキリスト教を総動員して、生と死、人間と機械などを語っていきます。
そんな作品をあなたにはぜひ挫折せずに読破してもらうため、『エンディミオンの覚醒』についてレビューをしていきたいと思います。
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小説『エンディミオンの覚醒』 – ダン・シモンズ・あらすじ
読書エフスキー3世 -エンディミオンの覚醒篇-
あらすじ
書生は困っていた。「もうSF小説が苦手だなんて言わないぞ!」と仕事中に寝言を言ったせいで、独り、無料読書案内所の管理を任されてしまったのだ。すべての本を読むには彼の人生はあまりに短すぎた。『エンディミオンの覚醒』のおすすめや解説をお願いされ、あたふたする書生。そんな彼の元に22世紀からやってきたという文豪型レビューロボ・読書エフスキー3世が現れたのだが…
エンディミオンの覚醒 -内容紹介-
「教皇聖下崩御! 聖下の御魂よ、永遠なれ!」
教皇の死を伝える叫び声が、聖ダマススの中庭に響きわたった。教皇宮殿において教皇ユリウス十四世の遺体が発見されたのは、ついいましがたのことである。引用:『エンディミオンの覚醒』ダン・シモンズ著, 酒井昭伸翻訳(早川書房)
エンディミオンの覚醒 -解説-
「むかしむかし、標準年で千年以上も前、聖遷よりも……二三三八年の〈大いなる過ち〉よりもさらに前……わたしたち人類が知っていた唯一の自律知性は、わたしたち人類だけでした。当時の人類は、もし自分たちが異種の自律知性を創りだすとすれば、それは巨大プロジェクトの結果であり……シリコンをベースに、トランジスター、チップ、基盤などと呼ばれる、大むかしの増幅器、スイッチ、検出装置などを大量に用いて、大量のネットワーク回路を結びあわせた……いいかえれば、人間の脳の形状と機能を猿まねした――というのは、あまりいい表現じゃないけれど――機械になるだろうと思っていました。
(中略)
この発見とパニックは、ちょうど〈コア〉がオールドアース破壊に着手したときに起こりました。マーティンおじさんの詩には、〈コア〉がどのようにして二三三八年の〈大いなる過ち〉を企み、ブラックホールがオールドアースの中心に落ちる“事故”をキエフの研究グループに起こさせたかがつづられていますが、あの詩にも、〈獅子と虎と熊〉の発見で〈コア〉がパニックを起こしたこと、大急ぎでオールドアースの破壊を中止しようとしたことまでは――これは書いた本人も知らなかったせいで――記されていません。崩壊する惑星の核で肥え太っていくブラックホールを掬いあげるのは、なみたいていのことではなかったけれど、それでも〈コア〉はなんとかその方法をひねりだし、大急ぎで回収を実行しようとしました。
(中略)
では、そんな〈コア〉がいまの人類にもとめているものはなにか? なぜ〈コア〉は瀕死のカトリック教会を甦らせ、パクスの出現をゆるしたのか? 聖十字架はどんな働きを持ち、〈コア〉のどんな役にたつのか? いわゆるギデオン機関をそなえた大天使は、じっさいにはどのように機能し、それは〈虚空界〉にどんな影響をもたらすのか? 〈獅子と虎と熊〉の脅威に対して、〈コア〉はどのように対処しようとしているのか?
それらについては、またこんどの機会にしましょう」PP.643- 659
たしかに、子供独特のまるみの名残は消え、頬骨もするどくなり、体格もがっしりとして、腰が張りだし、胸もわずかにふくよかにはなっているし、しなやかなズボン、ひざちかくまであるブーツタリアセン・ウエストでも着ていた緑のシャツ、風にはためくカーキ色のジャケットを身につけた肢体は、オールドアース時代にくらべれば力強くなり、筋肉もついている。それでも、それほど極端に外見が変わったわけではない。
それでいて、すべてが変わっていた。ぼくがよく知っていた子供のアイネイアーは、もうそこにはいなかった。そこに立っているのは、成熟したおとなの女性だった。見知らぬ女性は、粗い足場の上を足早に歩みよってきた。すっかり別人のように見えるのは、たくましくなった体格のせいでも、いまなお細身のからだについた筋肉のせいでもなく……精神的な充実のせいだ。存在感のせいだ。アイネイアーは子供のころでさえ、ぼくが知っている人間のなかでいちばん生き生きとして、活気があって、完璧な人間だった。もはや子供ではなくなり、すくなくとも子供の要素が大人の要素に埋没してしまったいま――その活気あふれるオーラのなかに、ぼくは精神的な成熟を見た。P.609
自分が最低の豚野郎になった気がした。愛する女の過去を、こんなふうにこそこそ調べるなんて。
P.388(下巻)
自分にぴったりの相手と愛を交わすことは、人間の犯す山ほどの過ちを補ってあまりある。
P.678
生と死は、形が変わるだけで、連続したものなんです。僧侶の死には胸が痛むけれど、それで生というものが小さくなるわけじゃない。
P.74(下巻)
M・エンディミオン。いまおっしゃった“人間のくだらない感情”が愛情を指すのでしたら――長いあいだ人間を見てきて、わたしにはわかっているつもりです。愛情はけっしてくだらない感情などではありません。M・アイネイアーは、愛は宇宙の主要エネルギーであると教えておられますが、これは正しいのではないかと思います
P.389(下巻)
だれかと新しい関係を築き、ともに暮らす相手を見つけ、新たな可能性を見いだすさい、人間の心は不思議なほどの柔軟さを見せるものだ
P.581(下巻)
批評を終えて
いつもより少しだけ自信を持って『エンディミオンの覚醒』の読書案内をしている書生。彼のポケットには「読書エフスキーより」と書かれたカセットテープが入っていたのでした。果たして文豪型レビューロボ読書エフスキー3世は本当にいたのか。そもそも未来のロボが、なぜカセットテープというレトロなものを…。
名言や気に入った表現の引用
汝の敵に対して根拠なき推量をするでない。それは致命的な判断ミスにつながりかねん
P.102
旅だちと別れはつらいものだが、経験からいって、夜の旅だちほどつらいものはない。
P.143
心の痛みにともなう別離の直後には――たとえば、家族を残して出征するときや、家族の一員と別れたとき、再会の見こみもないままに愛する者と別れたときなどには――最悪の事態を迎えてしまった以上、もう恐れるものなどなにもないという、奇妙な冷静さ、ほとんど安堵にちかい感覚をおぼえるものだ。
P.187
痛みは興味深く、かつ不快なしろものだ。人が生きていくうえで、痛みほど徹底的かつ強烈にぼくらの意識を集中させるものはない。その反面、痛みの話ほど、聞いたり読んだりしていて退屈なものはない。
P.237
子供のころ、母が癌で死ぬところを見まもって以来、ぼくは悟ったことがある。どんなイデオロギーも野望も、どんな思考も感情も、痛みにはかなわない。
P.243
人生ではね、最大の苦しみをもたらすものは、ごくちっぽけなものであることが多いの
PP.317-318
ぼくはこの状況下でできる、たったひとつのことをした。
思いきり口をあけ、悲鳴をあげたのだ。P.365
人間の心というものは、相手が興味を引く行動をとらないかぎり、たちまちその存在に慣れてしまうものらしい。
P.451
好きなだけひどい目にあわせるがいい! できるものならやってみろ、神々め!
P.455
思い出したのは、タリアセンの図書室でアイネイアーに読むように勧められた、プラトンの逸話のことだった。プラトンの師ソクラテスは、ものを問いかけることで、人々がすでに心に宿している真実を引きだしたといわれる。そういうテクニックには、どんなに好意的に評価しても、ぼくはひどくうさんくさいものを感じてしまうのだが。
P.619
ぼくのあごは、文字どおりがくんと落ちた。というのは誇張にしても、じっさい、そんな感じだった。
P.641
もし宇宙にほんとうの宗教というものがあるとしたら、それは触れあいにともなう真実をもふくまなくてはならない。
P.678
初期の進化学者のほとんどは、進化を“目標”や“目的”という観点から考えないように注意していたのよ。それは科学じゃなくて、宗教だもの。進化の方向という概念でさえ、聖遷前の科学者にとっては禁忌だったわ。彼らはね、進化の“傾向”でしか――たびたび発生する統計的な気まぐれという概念からしか進化を語れなかったの
P.202(下巻)
生物はね、好き勝手にさせておけば……けっして愚かではないから……いつの日か宇宙をおおいつくす、ということよ
P.207(下巻)
この宇宙に真の秘密というものがあるのなら、これにちがいない。愛する相手のぬくもり、合一、完全な受容を味わう最初の数秒間こそ、それにちがいない。
P.333(下巻)
ぼくのしたいことは単純明快……きみといっしょに、いつまでも過ごすことだ……どんな苦難でも乗り越えて、あらゆることを共有することだ。きみの身になにが起ころうと、自分の身になにが起ころうと、ぼくはきみを愛してる、アイネイアー
P.374(下巻)
「カレ・ペェよ」ぼくの友人はいった。「古いチベットの別れのことば。高い山へ登っていくキャラバンを見送るときにいうの。意味はこう――“もどってきたければ、ゆっくりといけ”」
P.499(下巻)
殉教なんて大きらいだ。宿命なんて大きらいだ。アンハッピーエンドのラブストーリーなんて願いさげだ
P.503(下巻)
有名人や伝説の人物本人とじかに顔を合わせてみると、その男や女には決まって、伝説には似つかわしくない、ひどく人間くさい部分があるものだ。この場合、それは司祭の大きな耳のなかに生えた、何本もの細い灰色の耳毛だった。
P.629(下巻)
創作を志す者には、どんなに長い一生でもたりないんだよ、ロール。そして、自分自身を理解し、生のなんたるかを理解しようとする者にとってもね。それはたぶん、人間であることの業だ。それと同時に、至福でもある
P.645(下巻)
見えていなかったのではない。きみは……恋をしていたんだ
P.681(下巻)
そうとも、暗黒の岸辺にも光は射し
どんな絶壁にも人に踏まれぬ緑が生える
夜半に花咲く蕾もあるように
盲者の心の目には、常人の三倍もものが見える……P.697(下巻)
エンディミオンの覚醒を読みながら浮かんだ作品
レビューまとめ
ども。読書エフスキー3世の中の人、野口明人です。最近、羽二重餅にハマっています。
いやー、ついに終わってしまいました。ハイペリオンシリーズ。まずは一言。
「SF小説って面白い!」
ハイペリオンシリーズにはそう思わせる何かがありました。
もちろん、今までもSFって面白いジャンルなんだなぁと思わせる作品はありました。
しかし、それらは実は僕の中ではSFとは認識していなかったのです。
かの有名なスター・ウォーズも観ていませんし、猿の惑星も観ていなければ、2001年宇宙の旅でさえ、小説、DVDともに本棚に眠ったまま。
なのにタイムマシンだけはちょっとだけ好きで、『バック・トゥー・ザ・フューチャー』のようなタイムスリップものだけは「あれはSFではなくタイムスリップという一つのジャンルだ」とかなんとか言って受け入れているクソ野郎なのです。
前にこのブログでレビューをした、猫小説と呼ばれる『夏の扉』もSF小説ですが、あーゆータイムトラベル的なものは好き。
なのに未だにSFは苦手という意識が取れなかった。
しかし、今回ハイペリオンシリーズを読んで僕はわかりました。SF作品の何が苦手だったのかを。
宇宙でドンパチやって、人のよく死ぬSF作品が嫌だったのです。宇宙の壮大なスケールのもと、ちっぽけな人類がゴミのように散っていくっていうイメージが嫌だったのです。
ただ、ハイペリオンシリーズを読んでもらえばわかりますが、このシリーズ、まさに「それ」です。
壮大な宇宙でドンパチやって、人がよく死にます。
でも。でもですね、そんな人がよく死ぬSF小説ですが、なぜかむちゃくちゃ面白いのです。
それはまるで子供が初めてピーマンの肉詰めに出会った時のような衝撃。
ピーマンは苦手なのに、好きなハンバーグが中に詰まっていると、苦手だと思っていたピーマンでさえ、ハンバーグをさらに美味しく感じさせる要素に思えてくる。
そんな感じなのです。
人間が機械に滅ぼされそうになる。命が命のないものに滅ぼされそうになって初めて、命とは何なのだろうと考える。
人間らしさとは何なのだろうかと。人と機械を隔てているものは何なのかと。
例えばそれは「心」と答える人もいるでしょう。
ところがハイペリオンシリーズにはその両極端に位置する存在が登場します。
A・べティックは青い肌のアンドロイドですが、言葉も喋り、彼は非常に人間らしく描かれています。
一方、シュライクは言葉も話さず、無機質でまさに機械そのもの。
その場合、A・べティックは人間でシュライクは機械という事になるのでしょうか。
例えばそれは「命」と答える人もいるでしょう。
命はいつか失われる有限なもの。機械はエネルギーさえあれば動き続ける無限なもの。
しかしこの作品には何度も復活する聖十字架の力があります。「死ぬ」ことがなくなったら、命が無限になったなら、人間は人間ではなくなるのでしょうか。
ハイペリオンシリーズはシリーズを通して、様々な形で「人間らしさ」とは何なのかを考えさせられます。
もしかしたら僕ら人間は、心のどこかで地球は万能でいつまでも壊れないものと思っているかもしれない。
もしかしたら僕ら人間は、心のどこかで人類が地上で一番の存在で、滅ばないものだと思っているかもしれない。
もしかしたら僕ら人間は、心のどこかで自然や生き物や機械などが、すべて人間に利用されるために存在していると考えてしまっているのかもしれない。
そんな心の思い込みや幻想に問題提起するには、もしかしたらSFというジャンルが一番適しているのかもしれないなぁ〜なんて事をハイペリオンシリーズを読んで思いました。
SFの要素全部入り。
宇宙船はもちろんの事、ガンやレーザーも出てくるし、どこでもドアやタイムトラベル的なもの、瞬間移動さえ出てくる。
ロボットもUMA(未確認動物)も、未来人、ミュータント的なのだって出てくる。
科学や宗教も扱って、魔術や神話、超能力まで何でもござれ。サンバーパンクな世界観かと思いきや、魔法のじゅうたんのようなレトロなものまで扱っている。
思いつくありとあらゆるSF要素がハイペリオンシリーズに詰まっているのです。
もう、これを読み終えることが出来たのなら、そしてそれを面白いと思ったのなら、SFは大好きだと言ってもいいでしょう。
うん。
僕はSF作品が大好きです。SFは美味しいピーマンでした。
『エンディミオンの覚醒』は上下巻合わせて1400ページ以上の長編ですが、読んでいるうちに、早く最後まで読みたいという気持ちと、もう終わっちゃうのかよという気持ちが入り混じりました。
面白い作品とはいつもそう。そして読み終わったあとのロスがすごい。
振り返ってみると4000以上ものページをめくったわけですが、長いようであっという間の読書タイムでした。
さあ、次は何を読もうか。
当分の間はSFはいいかなという気持ちと、次もSFがいいという気持ち、どちらも本音です。
とりあえず長門有希の100冊から選んで次もレビューしたいと思います。
ではでは、そんな感じで、『エンディミオンの覚醒』でした。
…レビューまとめと言いつつ、全然まとまっていない(汗)
ここまでページを閉じずに読んで頂いて本当にありがとうございました!
面白かった!と思ったあなたは是非別の記事も読んでいただけると嬉しいです。
最後にこの本の点数は…
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エンディミオンの覚醒 - 感想・書評
エンディミオンの覚醒
- 読みやすさ - 78%78%
- 為になる - 86%86%
- 何度も読みたい - 90%90%
- 面白さ - 96%96%
- 心揺さぶる - 93%93%
読書感想文
ハイペリオンシリーズ、最終作品。もし3つの作品をすべて読んで楽しめたのなら、きっとこの作品も楽しめるはず。少々読みにくさはあるものの、心揺さぶるシーンがたくさん詰め込まれています。読み終えたあとの、心地良くも寂しさ漂うハイペリオンロスは何年後かの再読を呼び起こしそう…。