- 著者:ジョン・ディクスン・カー
- 翻訳者:加賀山卓朗
- 出版社:早川書房
- 作品刊行日:1935年
- 出版年月日:2014年07月10日
- ページ数:415
- ISBN-10:415070371X
三つの棺というジョン・ディクスン・カーの推理小説は、長門有希の100冊に登録されているので、いつかは読んでやろうと大学生の時から探している本なのですが、絶版状態が続き長いこと手に入らなかったのです。
しかし、最近になって調べてみると2014年に新訳が出ているではありませんか。ジョン・ディクスン・カーはミステリー小説の大御所でありながら、発売当初から翻訳に恵まれず、江戸川乱歩や横溝正史などから叩かれ、日本ではすぐに絶版になってしまうという悲しき作家でしたので、なんとありがたい事!
ついに手に入れたその『三つの棺』という作品はミステリー業界では「密室の講義」という章が非常に有名なのです。大絶賛の嵐である「密室の講義」とは、どんなもんかいの?と読み進めてみると…。
ぐはぁーーーっ!!(;´Д`)
…ということで、前置きはこのぐらいにして、どのように「ぐはぁーーーっ!!」だったのか、早速『三つの棺』のレビューをしていくことにしましょう。
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小説『三つの棺』 – ジョン・ディクスン・カー・あらすじ
読書エフスキー3世 -三つの棺篇-
あらすじ
書生は困っていた。「自分の意見が言いたいからって、さらりとネタバレするやつ!」と仕事中に寝言を言ったせいで、独り、無料読書案内所の管理を任されてしまったのだ。すべての本を読むには彼の人生はあまりに短すぎた。『三つの棺』のおすすめや解説をお願いされ、あたふたする書生。そんな彼の元に22世紀からやってきたという文豪型レビューロボ・読書エフスキー3世が現れたのだが…
三つの棺 -内容紹介-
グリモー教授の殺害と、その後カリオストロ通りで起きた同じくらい信じがたい犯罪に対しては、奇怪なことばをいくらでも当てはめることができる。無理もない。不可能状況に目がないフェル博士の友人たちも、彼の事件簿にこれ以上不可解で怖ろしい謎は見つけられないだろう。すなわち、二件の殺人が起きたが、犯人は見えないだけでなく、空気より軽かったとしか思えないのだ。証拠によると、この者は最初の被害者を殺し、文字どおり消えてしまった。また別の証拠によると、彼はふたりめの犠牲者を空っぽの通りのまんなかで殺したが、通りの両端にいた人々はその姿を見ておらず、雪には足跡も残っていなかった。
引用:『三つの棺』ジョン・ディクスン・カー著, 加賀山卓朗翻訳(早川書房)
三つの棺 -解説-
この評論集では「英米短編探偵小説吟味」と「探偵小説に描かれた犯罪動機」の二つが最も長文の記事である。これは数年前「宝石」に連載したものだが、その連載をはじめる少し前、私はカーの短編「魔棺殺人事件」の中の「密室講義」を初めて英文で読んで、甚だ興味深く感じ、若し探偵小説の全トリックについて、こういうものが書けたら面白いだろうという野望のようなものを持った。
引用:『江戸川乱歩全集 第27巻 続・幻影城』江戸川乱歩著(光文社)
クイーンの場合も私は記憶していないが、初訳の「オランダ靴」の訳者が伴大矩だから、おそらくこの人が発見して自から推薦したものであろう。伴大矩君は、別名露下弴と両方を使いわけて、飜訳工場式に拙速飜訳をやった人で、学生などに下訳させたものもあったのではないかと想像されるが、本人はアメリカに住んだことがあり、アメリカ語には通じていたようだし、ヴァン・ダインなどとも文通して、アメリカの事情にも詳しかったので、クイーンが評判になっていることも、いちはやく気づいたのであろうと推察する。伴大矩君はアメリカ在住時代にけがをしたのか、足が悪くて外出が不自由だったので、外部との折衝は主に奥さんがやっていた。私は後にこの人の訳本「エジプト十字架」に序文をたのまれて書いたことがあるので、いくらか交渉はあったが、本人には会っていないし、奥さんが私の家へ来られたことはあるが、私は何か差支があって会っていない。用件は手紙ですましたように記憶している。
伴大矩君の飜訳が拙速の商業主義で信用できないという印象を受けたのは、カーの「魔棺殺人事件」の悪訳などもあるが、直接本人から手紙でそういう口吻を漏らされたことがあるからだ。「エジプト十字架」のあとで、何の飜訳だったか忘れたが、やはり序文がほしいというので、原稿だったかゲラ刷りだったかを送って来たことがある。読んで見るとどうも面白くないし、訳文も好ましくなかったので、失礼だけれども、これは私には面白くないから序文を書く気がしないという返事を出した。すると、伴大矩君から折返し手紙が来た。私は商業として飜訳をやっているものだから、そんな良心的なことをいわれても困るという文意であった。飜訳工場を自任していたのである。引用:『江戸川乱歩全集 第28巻 探偵小説四十年 (上)』江戸川乱歩著(光文社)
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批評を終えて
いつもより少しだけ自信を持って『三つの棺』の読書案内をしている書生。彼のポケットには「読書エフスキーより」と書かれたカセットテープが入っていたのでした。果たして文豪型レビューロボ読書エフスキー3世は本当にいたのか。そもそも未来のロボが、なぜカセットテープというレトロなものを…。
名言や気に入った表現の引用
たいていいちばん心地よいときに、びっくり箱のように小さなことが飛び出して人をつつくものだ。
p.22
「頭がおかしいとされている人間が正気の人間を脅したところで、心配するかどうかは人それぞれだが」フェル博士はまたうなずいて言った。「正気の人間が、おかしくなったようにふるまいはじめたら、私は大いに心配するね。何もないかもしれん。だが、嫌な予感がするのだ」
p.28
悪意を抱いた人間はぐずぐずしない
p.64
われわれは、二十歳未満の人間にこれから感情が備わることはない、四十を超えた人間にかつて感情があったことはない、と考えるのが好きですからね。
p.74
煙のなかから人であれ、子鬼であれ、形を持ったものは現れない。
p.98
小説のなかでドアを打ち壊すのがどれほど簡単か考えたことがあります? ああいう小説は大工の楽園です。なかにいる人間が気軽な質問に答えないといったつまらないことで、次から次へとドアが叩き壊されるんですから。でも試しに一度やってみてください! やるだけ無駄です。
pp.115-116
いまのところ最高の説明ですよ、よりよい説明を思いつくまでは。それに、あれで彼らの頭はいっぱいになる。証人の頭はつねにいっぱいにしておくべきです。
p.128
正直に申し上げれば、あなたの脅しなどなんとも思いません。皿にのったポーチドエッグのように人の輪郭しか見えない人間を動揺させたり、怒らせたり、怖がらせたりできるものはごくわずかしかないのです。世の中のほとんどの恐怖は(野望もですが)、眼や身ぶりや外観といった、形あるものによって引き起こされます。
p.151
われわれは秒ではなく分で時間を考えるからね。
P.192
「おっほん。はっ。ルールを教えてあげよう。幽霊は悪であるべきだ。幽霊は話してはならない。透明ではなく、実体が必要だ。舞台の上に長くとどまってはならず、通りの角から顔を突き出すなど、短時間で鮮明な印象を残さなければならない。明るすぎるところに現れてもいけない。学問的またはキリスト教会的な古めかしい背景を持つべきだ。つまり、修道院とかラテン語の写本といった味わいだな。このごろ、古い図書館や古代の遺跡をあざ笑う不幸な風潮がある。本当に怖ろしい幽霊は、菓子屋やレモネードの屋台に現れると言ったりしてね。いわゆる“現代の試練”というやつだ。大いにけっこう。現実の生活の試練を与えたまえ。ところが、現実の生活を送る連中も、古代の遺跡や教会の墓地に心の底から震え上がったことがある。それは誰も否定しないだろう。現実の生活を送る誰かがレモネードの屋台で何かを見て(むろん飲み物ではない)悲鳴をあげるか気絶するまで、現代の理論はただのゴミと言うしかない」
P.198
こっちはあまり気にせず、どんどん説明する。するとそのあと質問されて、一言一句正確にくり返せないと、どうやら嘘をついていると思われる。申しわけありませんが、旦那、私はこれで精いっぱいです
P.235
ほとんどの人は、種明かしをされると心底がっかりするからです。まず、その種があまりに気が利いて単純だから――本当に笑えるほど単純なのです――そんなものに自分がだまされたと信じたくないんでしょうね。”なんてこった! 聞かなきゃよかった。ひと目でわかったはずなのに”というわけです。あるいは、協力者が必要なトリックという第二の可能性もある。すると人々はますますがっかりするのです。”だって、誰かが助けてくれるんだったら――!”という感想です。まるで、協力者がいればなんだってできるというふうに
P.237
人とはおかしなものです。奇術を見に出かけて、奇術をお見せしますと言われ、見るために入場料も払う。それなのに、何かおかしな理由から、それが本物の魔法でないことを知らされると怒るのです。自分たちが調べた、鍵のかかった箱やロープで縛られた袋から誰かが抜け出した方法を聞くと、目くらましだったことに腹を立てる。だまされたのがわかると、ずるいごまかしだと言う。でもいいですか、そういう単純なトリックを考え出すのには頭脳が必要なんです。脱出の達人になるには、冷静で、強靭で、経験豊富で、電光石火のようにすばやくないといけない。ですがみんな、目と鼻の先で人をだますのには知恵がいるってことを、考えてもみないんだ。脱出のトリックを、何か本物の魔法みたいな妖しいものにしたいんだと思いますね。
PP.237-238
人は見えないものを見ているか、そこにないものを見たと思いこんでいる。
P.241
私の経験で言えば、家のなかでもっとも注意が向かないのは、釘にかかったコートだ。
P.281
われわれは探偵小説のなかにいるからだ。そうでないふりをして読者をたぶらかしたりはしない。探偵小説の議論に引きこむために念入りな言いわけなど、考えるのはよそう。隠し立てせず、もっとも高貴な態度で本の登場人物であることに徹しようではないか。
P.289
いずれにせよ、探偵小説において、”ありそうもない”がとうてい批判にならないことは指摘してよかろう。われわれは、ありそうもないことが好きだからこそ、探偵小説に愛着を抱くと言ってもいいのだからね。Aが殺され、BとCに強い嫌疑がかかっているときに、潔白に見えるDが犯人ということは、ありそうもない。ところが、Dが犯人なのだ。Gに鉄壁のアリバイがあり、あらゆる点で、残るすべてのアルファベットから潔白だと太鼓判を押されているときに、Gが犯罪を起こしたというのは、ありそうもない。だが、Gが起こしたのだ。探偵が海岸でわずかな炭塵を見つけたとしても、そんなつまらないものが重要な意味を持つことは、ありそうもない。だが、持つのだよ。要するに、”ありそうもない”という単語が、もう野次として意味を持たない域に達するのだ。小説の最後まで”ありそうかどうか”は忘れられる。殺人を予想外の人物に結びつけたければ(われわれ時代遅れの老人のいくらかは、そうしたがるが)、その人物、最初に疑われる人物より、ありそうもない、必然的にわかりにくい動機で行動しても、文句は言えない。
心のなかで、”こんなことはありえない!”と叫んだり、顔を半分見せた悪霊や、頭巾をかぶった幽霊や、人を惑わす金髪のセイレーンに不満をもらしたりしているときには、たんに”こういう話は好きではない”と言っているにすぎないのだ。むろんそれでかまわない。好きでないなら、そう言う権利はいくらでもある。しかし、こういう趣味の問題を強引にルールに変えて、小説の価値や蓋然性を判断するのに使いはじめると、結局たんに”この一連の事件は起きるわけがない。起きたとしても私が愉しめないから”と言っていることになる。PP.290-291
なぜわれわれは密室の説明を聞いて疑わしいと思うのか。もとより懐疑的だからではなく、理由はたんに、なんとなくがっかりするからだ。その感覚からごく自然に不公平な一歩を踏み出し、事件全体を信じがたいとか、不可能だとか、どう見ても馬鹿げていると断じてしまう。
PP.291-292
眼のまえで奇術が披露され、奇術師が見事にそれをやってのけること自体が、だましの印象をいっそう悪くするようだ。それが探偵小説のなかで起きると、われわれは信じがたいと評価する。現実の世界で起きると、仕方なく認めるが、腹いせに種明かしでがっかりしたと言う。両方のがっかりの裏にあるものは同じだ――われわれは期待しすぎるのだよ。
P.292
結果が魔法のようだと、原因も魔法のようなものだという期待が高まる。それが魔法でなかったことがわかると、くだらないと一蹴する。これはどう見ても公平ではないね。殺人者の一貫性のない行動については、決して文句を言ってはならない。全体の判断基準は、そうすることが可能かどうかだ。可能であるのなら、実際にそうするかどうかは問うてはならない。男が鍵のかかった部屋から逃げ出す――それで? そもそもわれわれを愉しませるために自然の法則に反したのだから、”ありそうもない行動”の法則を踏みにじる資格があるのは当たりまえだ!
PP.292-293
「また罪を犯してしまったよ、ハドリー」博士は言った。「また真実を見抜いてしまった」
P.395
三つの棺を読みながら浮かんだ作品
レビューまとめ
ども。読書エフスキー3世の中の人、野口明人です。
読書スピードとこのブログの記事を書くスピードが全く違うので、レビューネタだけどんどん増えていきます。
今回の『三つの棺』も実はもう2ヶ月ほど前に読んだ本でして、『屍人荘の殺人』のレビューの時に引用したのも、ちょうどそれを読み終わった頃でして、いたく感銘を受けたからなんですよね。
まず、この小説の主人公、ギデオン・フェル博士。どうやらシリーズ物らしくて、数々のジョン・ディクスン・カー作品に登場します。
シリーズ物の名探偵と言えば、色々なキャラクターが思い浮かぶじゃないですか。
海外ならコロンボやら、シャーロック・ホームズ、日本なら、金田一耕助やら明知小五郎、漫画でも工藤新一とか色々といますよね。
彼らに共通する点はなんだと思いますか?
まぁ、色々と答えはあるのでしょうが、僕のイメージで話させてもらいますと、彼らはみな、シュッとしてるんです。
何が?
体型が。
ところがギデオン・フェル博士は、デブなんです。ちょっと階段登っただけで息がゼイゼイ言い出す巨体なのです!
まず僕はそれで度肝を抜かれました。なんとこの探偵、デブかっこいいんです。これが第一の「ぐはぁーーーっ!!」です。
かっこいい探偵がスマートに事件を解決していく。それが今までの名探偵もののテンプレートだとしたら、ギデオン・フェル博士はそのテンプレートをぶち壊していきます。
デブがキレッキレに事件を解決していく。そのギャップがたまりません。
しかもこのデブが途中で、僕らは今、小説の中にいるなんていう、約束破りな事を言い出すものだから、第二の「ぐはぁーーーっ!!」到来。
もちろんそれはかの有名な「密室の講義」の導入なのですが、これがまた面白い。
数々のミステリー小説を取り上げ、そのネタバラシなどをしていくので、まさに今それらの作品を読もうとする人は要注意ですが、過去に読んだ事がある人はきっとニヤニヤする内容ですし、これきっかけでそれらの作品を読んでみようと思う人も多いハズ。
そして第三の「ぐはぁーーーっ!!」はこの事件の真相です。
数多くの登場人物が登場し、みながみな怪しい感じで話が進んでいくので、最後の種明かしの部分を読んで、まじかよ!こいつが犯人かよ!と度肝を抜かれました。
まぁ、僕が推理小説を読んでいる量が少ないから犯人がわからなかったのかもしれないですけどね。トリックについては賛否両論あるみたいですが、僕はそのトリックも含めて、犯人に驚いて、楽しめたので良しとしましょう。
ちなみに、翻訳に恵まれないジョン・ディクスン・カーという話をしましたが、このジョン・ディクスン・カーは実に速筆の作家でして、出版社と契約している本数を遥かに超える作品を生み出してしまったために、別のペンネームを使って出版するという経験もあるみたいです。
そう考えると、飜訳工場式に訳していた伴大矩の気持ちもわからないでもないような…。
まぁ、僕らは江戸川乱歩が苦言を呈していた昔に比べると、はるかに素晴らしい翻訳で読める機会に恵まれているわけで、なんという幸せ者!
今回の翻訳も、昔の翻訳よりも文学性が薄れたという声もあるみたいですが、いつかは原文で読めるようになりたいと思う僕でした。
ではでは、そんな感じで、『三つの棺』でした。
ここまでページを閉じずに読んで頂いて本当にありがとうございます!
面白かった!と思ったあなたはチャンネル登録をお願いします!…とYouTuberよろしく言いたい所ですが、これはブログなので、チャンネル登録がないのが残念な所。良かったら別の記事も読んでいただけると嬉しいです。
あ、YouTubeと言えば、お笑い芸人しずるの公式チャンネルにある「遭難」というコントがまさに「密室の講義」のギデオン・フェル博士ですので、興味があればぜひ。
最後にこの本の点数は…
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三つの棺 - 感想・書評
三つの棺
- 読みやすさ - 83%83%
- 為になる - 89%89%
- 何度も読みたい - 81%81%
- 面白さ - 88%88%
- 心揺さぶる - 84%84%
読書感想文
最近の新訳という事で昔の作品ではありますが、非常に読みやすい作品です。ただその為に、ドラキュラ関連を扱った物にも関わらず、おどろおどろしい雰囲気はあまり感じられませんでした。ラストのトリックは賛否両論ありますが、個人的には犯人は誰かな?と考えながら読むのが非常に楽しくラストには驚かされました。密室の講義も含めて、ぜひ人に勧めたい作品。