偶然の音楽というタイトルを見て、あなたはどんな物語を思い浮かべるでしょうか。またこの本の表紙を見て、どのような内容を連想するでしょうか。
ポール・オースターの7番目の小説であるこの作品を目にした時、その表紙のカッコ良さもあって、僕は期待に胸を膨らませました。
偶然の音楽。“偶然”の連続が非常に魅力的だった『ムーン・パレス』の次に書かれた作品。こりゃーもう期待するしかないっしょ!と僕は思ったのです。
…が、しかし。
思っていたのと全然違う!読み終わった後でも、どうもタイトルがピンとこない。
確かに偶然から引き起こされた出来事で物語は進んでいく。確かに物語の途中途中でクラシックやジャズの流れるシーンはある。
だが、偶然の音楽。この言葉や表紙から想像される爽やかなイメージではないのです。
僕の頭に残るのは、壁、壁、壁。
この物語は赤い車から始まり、壁を経て、赤い車で終わる。
まったく『偶然の音楽』というイメージが割り込んでくる余地がない。そういう物語なのです。
もし今、あなたに莫大な遺産が転がり込んできたら、そこからどのような人生を送るでしょうか。この『偶然の音楽』の主人公はそこから破滅の道を進んでいくのです。
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小説『偶然の音楽』 – ポール・オースター・あらすじ
著者:ポール・オースター
翻訳:柴田元幸
出版:新潮社
ページ数:329
妻と離婚したナッシュの元に、突然父親の遺産20万ドルが転がり込んできた。もしこの遺産がもっと早くに手に入っていたなら結果は変わっていたかもしれない。彼はやりがいを感じていた仕事を辞め、車に乗る。すべてを捨て、目的のない旅を続けているとジャックポットと名乗る若者に出会った。ナッシュはそれを最後のチャンスと捉え、恐れに震えたりもせず、目を閉じ、飛んだ。数奇な運命が理不尽な衝撃を運ぶ、壁と車の物語…。
読書エフスキー3世 -偶然の音楽篇-
前回までの読書エフスキーは
あらすじ
書生は困っていた。「もうビデオデッキなんて持っていないよ…。トホホ」と仕事中に寝言を言ったせいで、独り、無料読書案内所の管理を任されてしまったのだ。すべての本を読むには彼の人生はあまりに短すぎた。『偶然の音楽』のおすすめや解説をお願いされ、あたふたする書生。そんな彼の元に22世紀からやってきたという文豪型レビューロボ・読書エフスキー3世が現れたのだが…
偶然の音楽 -内容紹介-
大変です!先生!ポール・オースターの『偶然の音楽』の事を聞かれてしまいました!『偶然の音楽』とは一言で表すとどのような本なのでしょうか?
…壁?車?あらすじちょっと読んだんっすけど、全く意味がわかりません。正直な所『偶然の音楽』は面白い本なのでしょうか?
まる一年のあいだ、彼はひたすら車を走らせ、アメリカじゅうを行ったり来たりしながら金がなくなるのを待った。こんな暮らしがここまで長く続くとは思っていなかったが、次々にいろんなことがあって、自分に何が起きているのかが見えてきたころには、もうそれを終わらせたいと思う地点を越えてしまっていた。十三か月目に入って三日目、ナッシュはジャックポットと名のる若者に出会った。それは誰にも覚えのある、何もないところから不意に生じるように思えるたまたまの出会いだった。風に折られて、忽然と足下に落ちてくる小枝。
引用:『偶然の音楽』ポール・オースター著, 柴田元幸翻訳(新潮社)
コンナ一文カラ始マル“ポール・オースター”ノ1990年の作品デス。読メバワカリマス。
えーっと、それでは困るのです。ちょっとだけでも先生なりのご意見を聞かせていただきたいのですが。
読む前にレビューを読むと変な先入観が生マレテシマイマスノデ…
ええい、それは百も承知の上!先生、失礼!(ポチッと)
ゴゴゴゴゴ…悪霊モードニ切リ替ワリマス!
うぉおおお!先生の読書記録が頭に入ってくるぅぅー!!
偶然の音楽 -解説-
『ムーン・パレス』でポール・オースターを知ってから、発表順に読んで来ましたが、ついにここからは『ムーン・パレス』の後の作品になります。
ま、本来ならば『ムーン・パレス』と今回の『偶然の音楽』の間に詩集『
消失』を発表しているので、発表順で言えば正式には次の作品とは言えないかもしれませんが、小説としては7番目の作品です。
あー、そう言えば人間は7という数字に幸運を感じるんでしたね。もしかしたら、この『偶然の音楽』という作品のテーマを選んだのはそういう所に起因しているのかもしれませんねぇ。
あら? という事は今回は運がいいお話なのですか?
スタートだけで言えば、ラッキーと言えるのかもしれません。主人公の元に20万ドルという大金が転がり込んでくるんですから。
しかし、そのお金が人生を変えるという事もあるわけですよ。
あー、なんか宝くじ当たった人の人生が破滅に向かって行くみたいな?
今回の主人公の元に入ってきた20万ドルは父親の遺産でした。
ん? ポール・オースターの実際の人生もそうでしたよね?詩人だったポール・オースターが小説家として執筆活動に専念出来るようになったのは、父が死んでお金が入ってきたからだと。
ポール・オースターの作品では父親の存在が希薄な事がよくありますが、今回も主人公ナッシュには父親が蒸発していて、その父が死ぬ間際に遺産を残した事から物語が始まります。
あー、やっぱり『孤独の発明』でも書かれていたように自分の父に対する何かしらのコンプレックスみたいなものが影響しているんですかねぇ…。確か『ムーン・パレス』の主人公も父親が不在な所から物語が始まりましたもんね。
ナッシュは大金を手に入れましたが、彼の人生はそこから徐々に壊れ始めます。
タイミングの悪さというんですかね、父親が死んだのは6ヶ月前なんですけど、弁護士がナッシュを見つけるのに時間がかかったんですよね。
確かに疎遠になっていたとしたら、居場所を探し出すのは大変でしょうね。
ちょうどその6ヶ月の間にナッシュの妻は新しい男を作って失踪しちゃうんですよ。
ここらへんもおそらくポール・オースターの最初の妻との離婚の経験が反映しているとは思うんですが。
あー、確かポール・オースターは最初の妻とは経済的な問題でうまく行かなくなったんでしたね。
しかもナッシュにはジュリエットという娘もいたんですけどね、ナッシュの母が4年前の卒中を起こして亡くなるまでに必要だった入居費でナッシュは借金を背負っていたので、娘はナッシュの姉に引き取られる事になったんですよ。
あらら…。そんな中で急に20万ドルのお金が。お金さえもっと早く入ってきていたら…とか考えちゃいそうですね。
ええ。ナッシュもね、お金によって家庭が壊れていった苦痛を味わった後に青天の霹靂のように大金が転がり込んできて、あまりの偶然の魔の悪さに心をやられたようで、それまで真面目に働いていた仕事さえも辞めてしまうのです。
消防士だそうですよ。色々と仕事を転々として、やっとやりがいのある仕事と出会ったとナッシュは思っていたんですけどね。
もし大金さえ手に入って来なければ消防士を続けていたのでしょうね。
そこからはある意味『ムーン・パレス』に似てる展開になっていきます。
『ムーン・パレス』の主人公は叔父さんの死で心が壊れて、極限状態に至るまで自分の生活を破棄していったじゃないですか。
ええ。友人に救われる事がなければ死んじゃっていたかもしれないぐらい、ホームレス生活に堕ちていきましたね。
今回は赤い車を購入して、蓄えが尽きるまでひたすら車で走りまくるんですよ。
あれ?『ムーン・パレス』のラストにも赤い車出てこなかったでしたっけ?たしか大金を積んだまま盗まれちゃいましたよね。
ポール・オースターはインタビューで“あの赤い車のなかにもう一度戻ってみたかったんだ”って言ったらしいです。
ほほう。いわゆる『ムーン・パレス』の続きみたいにも読めるわけですね。そういうの好きです。
ただ、『ムーン・パレス』の主人公は偶然の力によって救われていきましたが、今回は偶然の力によってとことん破滅に向かっていくので読んでいて胸が痛いです。
ぐうう。バッドエンドなのかぁ…。先にそれを知ってしまうとなんとも読みづらくなってしまうかも。
いえ。人によってはハッピーエンドに思える最後でしたよ。
あ、そうなんですか?破滅に向かっていくのに?
私もね、今回の作品についてのあらすじ紹介はちょっと迷ったのです。これほどどこまで話をしていいかわからない小説は初めてです。
この小説、今お話した部分はあくまでも導入でしかないんですよ。ページで言えば20ページぐらいしか説明していない。
ただこの小説の中心である“壁”の話までするべきなのか、それとも赤い車で一人の男と出会った所で辞めておくべきなのか。私にはわからないのです。
導入に書かれていましたが、ジャックポットという若者に出会うんですよね?
そうです。赤い車でひたすら走りまくらねば済まない偏執に囚われたナッシュは、ある日一人の女性に出会うのです。
いえ、ジャックポットに出会うちょっと前の話です。ナッシュは消防士をしていた頃に自分をインタビューしてくれた事があった女性と再開するんです。
インタビューを受けた頃はまだナッシュはには妻がいたけれど、今はそうではない。二人はいい感じになるんですけど…。
ナッシュはどうしても車に乗って走ることを辞められない。何の目的もなくひたすら走る事を辞められないのです。女性はナッシュに、誰かに会いたくなったら私の事を思い出してねとは言ってくれるんですけどね。
バッハやモーツァルト、ヴェルディのテープを車でかけながらひたすら走る。そして思いつくわけです。所持金が2万ドルを切ったらその女性に結婚を申し込もうと。人生をやり直すのだってね。
『ムーン・パレス』でいう所のホームレスから救い出してくれた友人のようなものですね。
…が、実際にその女性の元に戻ってみると、すでにその女性は前に付き合っていた男性とよりを戻していて、もう二度と会いに来ないでと言われてしまう。
それがトドメになり、ナッシュは更にひたすら車を走らせる事になるのですが、その末にジャックポットという若者に出会うのです。
おお。ついにジャックポットの登場!名前がまたなんともギャンブルチックな名前ですよね。
彼の名はジャック・ポッツィ。仲間からはジャックポットと呼ばれているらしいのですが、そのポッツィは全身ボロボロで道を歩いていたのです。
ほほう。それでナッシュは車に乗せてあげるわけだ。
普段はヒッチハイカーを車に乗せたりはしないナッシュでしたが、あまりにもポッツィはボコボコに殴られすぎていて、困っている若者を見捨てずにはいられなかったようです。
ええ。ぶっちゃけここまでであらすじ紹介を辞めたほうがいい気はするんです。
えー、でも全然「壁」が出てこないじゃないですか。
そうなんですよね。今回の話はあくまでも「壁」が中心なんですけど、その「壁」までの話をしてしまうとこの物語の全貌が見え過ぎてしまう気がして、読書の楽しみが薄れるのではなかろうかと。
でも、「壁」の話をしないとこの本の感想が言えない。パラドックスです。私のコンピューターがゲーテルの不完全性定理状態に陥っています。
クレタ人は嘘つきだとクレタ人は言った状態です。
あ!なんか知ってる。クレタ人は嘘つかないといけないのに、「クレタ人は嘘つきだ」は嘘を言っていない事になるやつですね。
ま、全然関係ないんですけどね。ただの知識自慢ですけどね。
たしかなんか村上春樹関連で出てきたんで知ってるんですよそれ。
あ。村上春樹で言えば、夏目漱石の『坑夫』という小説知っていますか?
『
海辺のカフカ』を読んだ時に夏目漱石の『
坑夫』に触れた部分があって、大学生時代に気になって読みましたよ。
今回の『偶然の音楽』を読んでいて感じたのはまさにその夏目漱石の『坑夫』なんです。
なんかあれなんですよね、『坑夫』は体験から人生の教訓を得たとか、生き方が変わったとかそういうんじゃなく、何が言いたいのかわからない所に魅力があるらしいんですよね。
そうなんです。この『偶然の音楽』はね、とにかく「壁」を積み上げていくんですが、その経験から人生の教訓を得たとか、生き方が変わったとかそういうんじゃないんです。元のままなんですよ。
ええ。赤い車で走らずにはいられなかった主人公が、ポッツぃと出会うことで人生の復帰みたいなのを見出すんですけど、「壁」を築き上げてね、結局最後は赤い車のハンドルを握って破滅するんです。
…読んでいないから、話についていけませんが、つまりは主人公に成長や人生観が変わったって事がないって事で、いいんですよね。
ええ。だからね、これを読み終えた後に、私は戸惑ったわけです。何が言いたいんだー!と。『偶然の音楽』はどこにかかっているんだー!と。
でもポール・オースターってタイトルの付け方的にそういう事するじゃないですか。『ムーン・パレス』だって、家から見えた中華料理店の看板ですよ?
この本の巻末で小川洋子さんが解説を書いてくれているんですけどね、それを読んでなんとなく納得はしたんですけど、どうにも腑に落ちない。確かに音楽はどこもかしこも登場してくるんですが、印象に残るのはとにかく「壁」なのです。
壁…。もう壁という言葉がゲシュタルト崩壊を起こしてきている。
確かに読んでいる時は面白かったんです。どうなるんだろうと。そこはもうストーリーテラーとしての実力満点です。ラストもなんとなく魅力的な終わり方ではあったんです。ここまで破滅させて起きながら湿っぽさもなくカラッとした爽快感もあったんです。
でも何が言いたいんだー!なんですよ。とにかく。
…えっと、先生的に今回の『偶然の音楽』はオススメなんですか?オススメではないんですか?
それはもちろん、オススメしますよ!でもね、きっとオススメした人には「これなにが言いたいの?」って言われてしまうと思うんです。だから坑夫に対する村上春樹の言葉を借りたい。何が言いたいのかわからないのが魅力なのだと。
ふむ…。ますますオススメなのかオススメじゃないのかわからなくなってきた。
それにしてもニューヨーク三部作で前衛的な書き方をしていて、『最後の物たちの国で』でディストピア的な変化球の書き方も見えていましたが、『ムーン・パレス』以降はぐぐっと前衛的感が抜けましたねー。奇抜なことをせずにストレートで勝負しても、充分に面白いっていう。
へー。確かに『ムーン・パレス』から入った我々からしたらニューヨーク三部作の書き方には度肝を抜かれましたからね。こんな前衛的な書き方するのか!と。それが落ち着いてきた頃なんでしょうね、この頃のポール・オースターは。
しかし『偶然の音楽』の次の作品である『リヴァイアサン』ではまたドッペルゲンガーを探しているような感覚に襲われるみたいですよ。
へー。今まで8つのポール・オースターの作品を読んできましたが、全然飽きないのがすごい所ですよね。そろそろ他の作家読みたいなーって思わせないっすもんね。
…いや、若干今回は危なかったかもしれません。『偶然の音楽』はそれだけ私に戸惑いを与えた作品でした。
えー。Amazonの評価むっちゃいいのになー。
読み終わった後に、レビューの評価見てみて更に戸惑いましたよ。え!?なんでこんなに評価高いの!?と。
もしかしたら、我々は感覚がおかしいのかもしれませんね。
それを言ったらレビューサイトなんてやってられませんよ。Amazonのレビューがなんぼのもんじゃーい。
ちなみに、今回の作品は映画化もされていますし、日本だと舞台もあったみたいですよね。
アメリカのAmazonでDVDは買えるんですけどね。日本では未発売なんっすよねぇ…。買えるとしてもVHSだし。もうビデオデッキなんて持っていないよ…。トホホ。
批評を終えて
以上!白痴モードニ移行シマス!コード「ケムール・ボボーク・ポルズンコフ!」
「もうビデオデッキなんて持っていないよ…。トホホ」…って、あれ?僕は一体何を…。
何をじゃないよ!仕事中に居眠りこいて!トホホなんて本当に言うやつ初めてみたわ。
え?あれれ?読書エフスキー先生は?
誰だそれ。おいおい。寝ぼけ過ぎだぞ。罰として一人でここの案内やってもらうからな!
えーっ!?一人で!?で、出来ないですよ〜!!
寝てしまったお前の罪を呪いなさい。それじゃよろしく!おつかれ〜
ちょっ、ちょっと待って〜!!…あぁ。行ってしまった。どうしよう。どうかお客さんが来ませんように…。
…あのすいません、偶然の音楽について聞きたいんですが。
(さ、早速お客さんだーっ!!ん?でも待てよ…)いらっしゃいませー!ポール・オースターの7番目の作品でございますね。おまかせくださいませ!
あとがき
いつもより少しだけ自信を持って『偶然の音楽』の読書案内をしている書生。彼のポケットには「読書エフスキーより」と書かれたカセットテープが入っていたのでした。果たして文豪型レビューロボ読書エフスキー3世は本当にいたのか。そもそも未来のロボが、なぜカセットテープというレトロなものを…。
名言や気に入った表現の引用
「一杯の茶を飲めれば、世界なんか破滅したって、それでいいのさ。by フョードル・ドストエフスキー」という事で、僕の心を震えさせた『偶然の音楽』の言葉たちです。善悪は別として。
くたばったあともこの世にいられるといいんだがな。金が入ったらあいつらどんな顔をするか、さぞ見ものだろうよ
p.8
どうせならトンカチにしてくれ。お前の頭に分別のひとつも叩き込めるかもしれんからな
pp.16-17
ボールドウィンを彼に四五〇ドルで売る話をまとめた。翌朝に引越し業者が来たころには、もうその金はカーステレオ用のテープに使ってしまっていた。ひとつの音楽の形を、別の形に変える。いい使い方だ、と思った。その交換の効率性が快かった。
p.19
金は彼の自由。保障してくれるが、金を使ってさらに自由のひとかけらを買うたびに、同量の自由を彼から奪うことになるのだ。
p.28
他人のなかにひとたび自分を認めると、もうその人間が他人に思えなくなってくる。好むと好まざるとにかかわらず、そこには絆が生じる。
p.75
まあ何も起こりはしないだろうが、と同時に、何ごとも当然と思ってはいけない気もした。
p.81
もしポッツィが何も言わなければ、要するにそれは、口だけの奴だったということだ。この逆説の対称性をナッシュは面白く思った。言葉がゼロなら、すべては言葉ということ。すべては言葉なら、見せかけとハッタリとごまかしにすぎないということ。
p.82
「心配するな、任しとけって。俺は大当たり小僧だぜ、覚えてるか? 俺が何を言ったって大丈夫なのさ。言う人間が俺であるかぎり、何もかもうまく行くのさ」
p.88
いまとなっては自分の身に起ころうとしていることに自分が関与していないような気分だった。では、自分の運命にもはやかかわっていないのだとすれば、俺はどこにいるのか? 俺という人間はどうなってしまったのか? ひょっとすると俺は、天国と地獄の中間にあまりに長くとどまりすぎたのかもしれない。そのせいで、いまこうして自分を見つけ出す必要が生じても、もはや何も取っかかりが残っていないのだ。ナッシュは突然、自分の内部が死んでしまったような、自分の感情がすべて使い尽くされてしまったような気分に襲われた。怖くなった方がいい、と頭では思ったが、破滅を思い描いても恐怖を感じることはできなかった。
p.90
幸運というものは不運と同じくらい人をとまどわせる。何千万ドルもの金が文字どおり空から降ってきたら、それが本当に起きたことを自分に納得させるためにも、何度もくり返し話さずにはいられないのだろう。
p.107
宝くじなんか買ったのは、もし万一当たったら賞金を何に使うかを話すのが楽しかったからだと思うんですよ。それがわしらの気晴らしだったんです。スタインバーグズでサンドイッチを食べながら、突然運が巡ってきたらどんな暮らしをするか、いろんな物語をひねり出す。罪のないささやかなゲームですよ。そうやって思いつくままにいろんな事を考えるのが面白かったんですな。何ならセラピー効果があると言ってもいい。いまとは違う人生を想像することで、心が元気になるんだ
p.108
もちろんわしは、商売柄ずっと数字を勘定してきました。そうするとね、そのうちに、数ってものはそれぞれ性格があるんだって気持ちになってくるんです。たとえば、十二ってのは十三とは全然違う。十二は潔癖で、生真面目で知的だが、十三は一匹狼で、ちょっとうさん臭いところもあって、欲しい物を手に入れるためなら法を破ることも辞さない。十一はタフで、森を闊歩したり山登りをしたりするのが好きなアウトドアタイプ。十はどっちかというと単純素朴で、言われたとおりのことを大人しくやる奴です。九は奥が深くて神秘的で、御釈迦さまみたいに瞑想的。あんまり並べても退屈なさるでしょうからこれくらいにしときますが、わしの言わんとすることはおわかりでしょう。どれもすごく個人的な感慨ですが、でもね、会計士仲間に訊いてみると、みんなおんなじこと言うんですよ。数には魂があるんだ、数とつき合っていればそのつき合いもいずれかならず個人的なものになるんだってね
pp.109-110
金がいくらあったって関係ない。人生、情熱を注げるものがなけりゃ生きるに値しません
p.117
世界を成り立たせるにはあらゆる種類の人間が必要なんです
p.111
ケツの穴野郎どもが、世界じゅうを動かしてやがるんだ
p.200
とにかく目の前にすべては見えてる。石を一個下ろす、それで何かが起きる。もう一個下ろす、さらに何かが起きる。何の謎もない。壁が建っていくのを自分の目で見られるし、ある程度出来てくればそれを眺めていい気分にもなれる。草を刈ったり薪を割ったりするのとは違う。そういうのだって仕事だが、大したものは残らん。この壁みたいのを作れば、自分の努力の証しがいつまでも残るんだ
p.220
そして突然、人生のひとつの大きな期間がたったいま終わったことを理解した。ただ単に壁と野原が終わっただけではない。そもそもここへ彼を導いたものすべて、過去二年にわたる狂気のサーガ、その何もかもが終わったのだ。テレーズも、遺産も、自動車もみんな。彼はふたたびゼロに戻り、それらのものたちは消えてなくなった。どんな小さなゼロであれ、それは無の大きな穴であり、世界を包含するに十分大きい円なのだ。
pp.229-230
最後までやるって自分に約束したんだよ。わかってくれとは頼まん。でもとにかく俺は逃げない。逃げるのはいままでさんざんやってきた。もうやらない。借金を返す前にここから逃げたら、俺は自分にとって一文の値打ちもなくなっちまう
p.245
『アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳』、『平均律クラヴィーア曲集』、「神秘な障壁」。この最後の曲を弾くたびに、壁のことを考えずにいられなかった。結局ほかのどの曲にも増して、ナッシュはくり返しこれに戻っていった。演奏するのに二分ちょっとしかかからないこの曲は、ゆっくりとした厳かな進展のなかに、延音や掛留や反復がいくつもあって、片手で一度に二つ以上の鍵盤に触れているべき箇所はひとつもない。音楽がはじまっては止まり、またはじまってはまた止まり、にもかかわらず曲は確実に動いていって、決して訪れぬ解決に向かって進んでいく。
pp.265-266
その後の冬眠状態がなく、四十八時間にわたって自分自身から失踪していることもなかったら、いまここにいる自分にはならずに終わってしまったかもしれない。眠りはひとつの生からもうひとつの生へ移行するための経路だったのだ。自分のなかでうごめく悪鬼たちにふたたび火がついて、元々そいつらが生まれてきた源たる炎のなかに融けていくためのささやかな死だったのだ。悪鬼どもがいなくなったわけではない。だが彼らはもはや形を持たず、形なく偏在することによってナッシュの体の隅々に行きわたっていた。目には見えずともたしかにそこにいるものとして、血や染色体と同じようにナッシュの一部になっていた。それは彼を生かしているさまざまな体液の波間に漂うひとつの炎だった。べつに自分が前よりよい人間になったとか悪い人間になったとかは思わなかった。でももう、怖くはなかった。そこが決定的な違いだった。彼は燃えさかる家のなかに飛び込んで、炎のなかから自分自身を救い出したのだ。それをなしとげたいま、もう一度そうすることを考えても、もはや怖くはなかった。
p.278
事実を知る前に、まず忍耐を知らねばならない。
p.294
引用:『偶然の音楽』ポール・オースター著, 柴田元幸翻訳(新潮社)
偶然の音楽を読みながら浮かんだ作品
著者:夏目漱石
出版:Kindle
ページ数:146
おや?やっぱり夏目漱石の『坑夫』ですか。
大学時代に読んだ夏目漱石『坑夫』の内容はもうほとんど忘れてしまいましたが、なぜだか今回はこの小説を読みながら頭をちらちらよぎりました。もう一度読んでみようかな『坑夫』を。
レビューまとめ
ども。読書エフスキー3世の中の人、野口明人です。
正直、戸惑いを隠しきれません!これまでのポール・オースターとは根本から何かが違う作品の気がします。今までとの類似点はたくさん発見出来るんですが、なぜか読み終えた後の感じがぜんぜん違う!
むっちゃ面白かったのに、めちゃくちゃ読んでいる時は面白かったのに、人のレビューを読むと不安にかられる。あまりにも僕が読んだ印象と全然違う。
僕が望んだ偶然はそういう事じゃなかったのかもしれない。もしかしたら『ムーン・パレス』のような偶然を望んでしまっていたのかもしれない。
偶然の力による救い。それを求めて読んでいたら、圧倒的な暴力と閉塞感で叩きつけられた。
立ちはだかる壁。なんだか壁が怖くなる。
あぁ。大好きだったジャック・ポッツィ。なぜにそんな事になってしまったんや。
あぁ。頑張ってやり抜いたナッシュ。なぜにそんなラストを迎えたんや。
この小説の魅力は、登場人物すべてに愛着が湧いてしまうという所。そしてそのほとんどが握りつぶされてしまう所。
突然訪れるラストは、人によればハッピーエンドと言えるかもしれないけれど、僕はどうしてもこの続きを読みたくなってしまう。このまま終わったらバッドエンドではなかろうか?
ポッツィはどうなったのか、主人公はどうなったのか、フラワーとストーンはなぜ顔を見せなかったのか。
気になる。気になる。気になる。くそー。何が言いたかったんだー!
ぶっちゃけ、ストーリーの転がし方は面白かったけど、ラストを認めたくないのです。もっと続きが読みたいのです。
前回読んだ『最後の物たちの国で』は同じように閉塞感はありましたが、終わり方がとても開放的でした。今回も同じように“その後がどうなったのか”は書かれずに終わったんですが、前回の終わり方とは何かが違う。
ポール・オースターはこんな書き方もするのか!と発見したと言えなくもないのですが、ポール・オースターはこんな書き方はしないだろー!と思ってしまった書き方でもあるのです。
つまり。
自分の中で7冊読んで積み上げて来たポール・オースター像が今回の8冊目で見事に崩れていきました。
壁。
頭の中にあるのはただひたすらそびえ立つ壁だけ。
あまりにもチンプンカンプンな事を言っていると思うので、人のレビューの声を借りておしまいにしますが、どうやら安部公房の『砂の女』を好きな人には合いそうな本らしいですよ。僕も言われてみればそうかなって思います。
理不尽な閉塞感。うん。
僕はまだこの本が何を言いたいのかわからないんだ。それが魅力なんだ。頭の中には壁しか残らないんだ。
ではでは、そんな感じで、『偶然の音楽』でした。
あ、もしこの本を読もうと思っていたら、Wikipediaの方は目を通さない方が楽しめますよ。あらすじが至極丁寧で簡潔にまとめられているので、読む楽しみが減ります。なのでご注意を。リンクは貼りません。読み終えた後に検索してください。
ここまでページを閉じずに読んで頂いて本当にありがとうございます!
最後にこの本の点数は…
偶然の音楽 - 感想・書評
著者:ポール・オースター
翻訳:柴田元幸
出版:新潮社
ページ数:329
偶然の音楽
¥ 649
-
読みやすさ - 90%
-
為になる - 65%
-
何度も読みたい - 91%
-
面白さ - 89%
-
心揺さぶる - 66%
80%
読書感想文
文章からアバンギャルドな部分が消え、いい意味で多くの作家が書くような読みやすい形になったと思います。ただやはりポール・オースターの良さは、みんなが書きそうな外枠なのにストーリーの転がし方が上手なので読んでいてすごく面白いのです。…でもなぁ、やっぱり僕は壁しか頭に残らなかった。面白いのに壁だけが頭を離れていかないよ。誰かタスケテー。ここまで評価に困ったのは久しぶり。