- 著者:ロバート・A・ハインライン
- 翻訳者:福島正実
- 出版社:早川書房
- 作品刊行日:1956年
- 出版年月日:2010年01月30日
- ページ数:383
- ISBN-10:415011742X
夏への扉という小説をご存知でしょうか。まずはその表紙を見て欲しいのですが、猫が扉の前にいて、扉が開くのを待っているみたいな感じが第一印象として目に飛び込んでくると思います。
…が、よく見てみるとその扉の光には人間の目が描かれているのです。
え!?なにそれ、怖い!なんて最初に気がついた時には思ったわけですが、この本、ホラーではありません。SFです。しかしSFはSFでも宇宙でドンパチするようなSFではありません。猫が悪者と勇敢に戦う系のSFです。
一人の人間が恋人に裏切られ、友人に裏切られ、人生のどん底から這い上がっていく系のSFです。
「いや、それ何系のSFやねん!」と思われるかもしれませんが、SFが苦手だと豪語していた僕が、SFおもしれーっ!!とSF小説を漁り始めたきっかけになったSFです。ちまたでは、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のアイディアの元になった小説として有名です。
1956年に書かれた作品であるにも関わらず、非常に読みやすく、当時の未来である2000年の事を書いた内容にも関わらず、実際の2000年との類似点が多々あるという作者の恐るべき想像力。
そして何より、この作品の主人公。これがもうスティーブ・ジョブズなんじゃね!?っていうぐらい読者に愛されそうなキャラなのです。ねこ、かわいい。かわいい、ねこ。ふがふが。にゃおーん。猫好きのあなたは必見の小説なのです。猫SFの代表作なのです。
…あ、このままでは、何言ってんのこいつ?と思われて終わりそうなので、早速あらすじや内容紹介の方に入っていきましょう。
きっとあなたは夏への扉を探したくなるはず…。
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小説『夏への扉』 – ロバート・A・ハインライン・あらすじ
読書エフスキー3世 -夏への扉篇-
あらすじ
書生は困っていた。「あぁ…。1分前の自分にタイムトラベルしたい」と仕事中に寝言を言ったせいで、独り、無料読書案内所の管理を任されてしまったのだ。すべての本を読むには彼の人生はあまりに短すぎた。『夏への扉』のおすすめや解説をお願いされ、あたふたする書生。そんな彼の元に22世紀からやってきたという文豪型レビューロボ・読書エフスキー3世が現れたのだが…
夏への扉 -内容紹介-
六週間戦争のはじまる少しまえのひと冬、ぼくとぼくの牡猫、護民官ペトロニウスとは、コネチカット州のある古ぼけた農家に住んでいた。マンハッタンの被爆地帯の端にあたったし、古い木造家屋というものはティッシュ・ペーパーに火をつけたようによく燃えるから、今でも、まだあの農家がそこに建っているかどうかは疑問だ。おそらくはあるまい。よし建っているにしても、死の灰が降ったから、価よく貸すというわけにはいかないだろう――が、当時ぼくら――つまり、ぼくとピートは気に入っていた。下水がなかったので家賃は安かったし、居間だった部屋に置いたぼくの製図机に、冬の陽ざしがよく当たった。
ただし欠点があった。この家は、なんと外に通ずるドアが十一もあったのである。引用:『夏への扉』ロバート・A・ハインライン著, 福島正実翻訳(早川書房)
夏への扉 -解説-
冷凍睡眠《コールドスリープ》というものについてはたいていの人と同じように、知っているようでもあり、知らないようでもあった。もちろんぼくは、H・G・ウエルズの古典的SF『冬眠者めざめるとき』ぐらいは、保険会社が宣伝用に無料配布をはじめる以前から読んでいたし、週に二、三回は、朝の郵便の中に入ってくる保険会社のダイレクト・メールで見もしたのだが、ろくに気にも止めていなかった。冷凍睡眠《コールドスリープ》など、ぼくには、口紅の広告同様、縁もゆかりもなかったからだ。
このまま一生砂糖水を売り続けたいのか、それとも私と一緒に世界を変えたいのか?
批評を終えて
いつもより少しだけ自信を持って『夏への扉』の読書案内をしている書生。彼のポケットには「読書エフスキーより」と書かれたカセットテープが入っていたのでした。果たして文豪型レビューロボ読書エフスキー3世は本当にいたのか。そもそも未来のロボが、なぜカセットテープというレトロなものを…。
名言や気に入った表現の引用
ぼくは、いつもピートに、専用のドアをあてがってやることにしていたのだ。この家の場合には、使わない寝室の窓に打ちつけた板切れで、そこに、ちょうどピートのヒゲの幅にねここしを切ったのである。なぜこんな面倒をしたかといえば、今日までぼくはあまりに多くの時間を、猫のためにドアをあけたり閉めたりすることに消費しすぎていたからだ——ぼくが一度計算したところによると、文明の曙光が射してこのかた、人類は九百七十八(人間)世紀分の時間を猫にかまけて費やしてきているのだ。なんなら、もっと詳しい数字を挙げてみせてもいい。
(Kindle の位置No.16-21)
コネチカットの冬が素晴らしいのは、もっぱらクリスマス・カードの絵の中だけだ。
(Kindle の位置No.26-27)
南カリフォルニアの雪は貧しくて、わずかに山々の峰にスキーヤーのための積雪があるばかり、ロサンジェルスの下町では白いものさえ見られなかった。たぶん、スモッグを押しのけられなかったのだろう。だが、冬は、ぼくの心の中にあったのだ。ぼくは健康を害してもいず(慢性の二日酔は別として)、あと数日間は年も三十のこちら側なら、無一文の貧乏人ではさらになかった。警察に追われる身でもなく、人妻を寝とってその夫につけまわされてもいなければ、執達吏から逃げまわっていたわけでもない。軽微なもの忘れの気味はあれ、不治の記憶喪失症などにかかってもいなかった。にもかかわらずぼくの胸には冬が住まって、ぼくはひたすら夏への扉を探し求めていたのである。
(Kindle の位置No.40-46)
「ちょっとお待ちを」そういうと彼は電話をとりあげた。「交換、ボーキスト博士につないでくれ」それから先の会話は、彼が秘話装置のスイッチを入れたので聞こえなくなった。だが、やがて話を終えて電話を置いた彼は、まさに金持の伯父さんが死んだばかりというような、にこやかな笑顔でぼくに向きなおった。
(Kindle の位置No.280-281)
だが、本当に問題なのは、、もしぼくが冷凍睡眠中に死亡した場合のことだった。会社は、三十年間の冷凍睡眠中にぼくが生き永らえる見込みを、十中七の確率であると主張していた。そして、会社はこの賭けのいずれか一方、加入者の選ばなかったほうを取る。これだと五分五分の賭ではないが、そんな五分五分は、もちろん望ましくないのだ。更生な賭では、胴元の側につねに見越破損高が見てあるのが普通だ。保険業というものは合法化された賭博なのだ。インチキな会社にかぎって、カモにだけいいような話をするものだ。
(Kindle の位置No.311-312)
いや、結構。ぼくは自分の心配事だけでたくさんだし、だいいち精神分析医じゃない。ぼくのあんたに対する唯一の関心事は、あんたの心臓が、体温を摂氏四度に下げた場合の試練に耐えられるか否かだけだ。耐えられようとられまいと、ぼくはどっちでもかまわない。元来ぼくは、なぜあんたがわざわざ穴の中に埋まりたいのか、そんな理由はどうでもいいのだ。むしろ、世の中から馬鹿が一人消えて結構だとおもうぐらいだ。ただぼくにも、まだ役にもたたん職業的良心の切れっぱしがあるとみえて、それが脳までアルコール漬けになっている人間を棺桶の中へ送り込むのを拒むんだよ。それ以外は、きみが誰だろうと、どんなみじめな標本だろうと、ぼくの知ったことじゃない。
(Kindle の位置No.349-355)
ぼくには、なんの証拠もないのだ。それにどっちみち、裁判なんてものは、法律屋以外には、とくするやつがないようにできているのだ。
(Kindle の位置No.420-421)
三十年も勤務すれば、会社から表彰パーティが開いてもらえ、年金もつくだろう。食事にこと欠くこともなく、会社の専用機にも飽きるほど乗れるだろう。だが、そうしているかぎり、永遠に他人の雇い人であって、自由は決して得られない。
(Kindle の位置No.478-481)
家庭の主婦で、多少なりとも奴隷所有者の天性を持っていないひとに、ぼくはいまだに会ったことがない。彼女らは、水道屋の手伝いでも苦情をいう程度の賃金で、食事はテーブルからこぼれたパン屑で満足しながら、一日十四時間も床を這いずりまわって働くことをありがたがるような女奴隷が、まだ存在すると信じているらしいのだ。
(Kindle の位置No.498)
猫好きの人間にむかって、猫嫌いが猫好きのふりをすることは難しい。世の中には猫好きがいくらかと、あと大多数の〝害のない、必要な猫であっても我慢できない〟人間とがある。もしそうでない人が、礼儀その他の理由から猫好きを装って近づくと、正体がわれてしまう。それは猫嫌いが猫の扱い方を知らないのと、猫の方がそんな社交辞令を拒絶するためだ。
猫にはユーモアのセンスがない。あるのは極端に驕慢なエゴと過敏な神経だけなのだ。(Kindle の位置No.645-648)
金のことにしてもそうだよ。マイルズ、きみはいったいいくらありゃ足りるんだ?いくら金があったって、一度に二艘のヨットにゃ乗れまい。一度に二つのプールじゃ泳げないんだぜ
(Kindle の位置No.887-889)
ラスト・シーンというものは、その中間のシークエンスが、一つ一つと展開していって初めて理解もでき玩味もできるものなのだ。
(Kindle の位置No.1103-1104)
訴訟に勝つよりも、訴訟に巻きこまれないことのほうが、常に結局は得だということを知っている。
(Kindle の位置No.1229-1230)
「マイルズ、ぼくはきみにあまり腹を立ててはいない。男というものが、手癖のわるい女のために、どれほど惑わされるか、これは信じがたいほどなのだ。サムスンやマーク・アントニイですら女には脆かったんだ。きみに動ずるなというのが無理なことはよくわかっているさ。いや、怒るどころか、むしろぼくはきみに感謝してるよ、と同時にきみを気の毒にも思っている」そういってぼくはベルを見やった。「きみは彼女を獲得した。いまや彼女はきみの問題だ。ぼくは、わずかばかりの金と一時的な心の平安を失っただけですんだ、だが、きみはその程度ですむだろうか? 彼女はきみにどれだけ負担をかけるだろう? 彼女はぼくをあざむいた。ぼくの親友であったきみを口説き落としてさえして、ぼくを裏切った。いつの日か彼女が、新たな男とチームを組んで、きみを裏切らないとはかぎらないのだよ。遠い未来のことじゃない。来週かもしれない。来月かもしれない。せいぜいもって、来年かもしれない。犬が自分の吐いたもののところへ戻ってくるように、手癖のわるい女は……」
(Kindle の位置No.1306-1307)
人生ってものは少しぐらい冒険しなきゃ生きていけないのよ。だから人生は面白いんじゃないの。
(Kindle の位置No.1471-1472)
ぼく脚には身体がない。だれもいない、だれもぼくのことなんか心配してくれない……
(Kindle の位置No.1642)
工業技術というものは、なによりも現実にそくした技術であり、一人の技術者の才能よりは、その時代の技術水準一般に負うところの多いものだ。
(Kindle の位置No.1840-1842)
自分がなにかに“所属”しているという感じは、なにがなし温かい、ほのぼのとした安心感をぼくに与えた。
(Kindle の位置No.1866)
こんなことになるんだったら、ぼくのフランクをあまり万能に作るのではなかった、と考えていた。昔は受付というものは、たいてい綺麗な女の子を置いていた。機械なんぞではなかったのだ。
(Kindle の位置No.1984)
ぼくの親爺がよくいっていた。法律が複雑になればなるほど、悪党どものつけいる隙も多くなるのだと。
親爺はこうもいった。賢い人間は、いつでも荷物を捨てる用意をしておくべきだ、と。(Kindle の位置No.2067-2069)
確かにぼくは散髪代も持っていない。といって、金を借りるということは、両手に煉瓦を縛りつけて泳ぐに等しい。そしてわずかな金というものは、百万ドル返すより借りにくいものである。
(Kindle の位置No.2102)
先のことは先に、後のことは後に、だ。職を探すことは、寝るところを探すよりも先にしなければならない。先立つものが、すべてに先行するのだ……しかもその、先立つものがないときは特に。
(Kindle の位置No.2235-2237)
銀行にたっぷり預金のある男のための家はどこにでもあるし、警察も放っておいてくれる。
(Kindle の位置No.2282)
いや、だいいち、現在四十一にもなった、そしておそらくは結婚して子供もあるだろう女を見つけることそれ自体に、どんな意味があるというのだ?かつてあれほどの美と魅力とを発散させていたベル・ダーキンの、見るも無惨な今日の姿は、ぼくをしんそこ震えあがらせた。三十年という年月の恐ろしさが、今さらのようにぼくの心に浸透してきた。いや、ぼくは、リッキイが中年女になってしまったろうことがおそろしかったのではない。彼女は中年になって、ますます人の善い情け深い女になったろう。だが、果たしてリッキイはぼくを憶えているだろうか?もちろん、彼女がぼくの存在を忘れてしまうとは信じられない。しかしぼくは、彼女の追憶の中で、たんなる抽象的な〝ダニイおじさん〟——すてきな猫を飼っていた優しい〝ダニイおじさん〟になり終わってしまったのではないだろうか?
(Kindle の位置No.2741-2749)
病的な嘘つきにはたいてい一つの型があって、初めは真実から出発して、それに尾鰭をつけるもので、全くの空想の場合はめったにないという。
(Kindle の位置No.2860-2861)
チャックは、女について、女は機械に似ているが、論理ではわりきれないという持論を持っていた。
(Kindle の位置No.2969-2970)
ハンク、どうしてそんな難しいことばかりいうの。あなたたち男って、規則のための規則が好きなんだわ。
(Kindle の位置No.3230-3231)
ぼくは、じつによく、人から前に会ったことがないかといわれるのだ。ぼくの顔はきっと、ピーナツかなんぞのように、どこにでもある標準型の顔なのだろう。
(Kindle の位置No.3205)
ぼくは考えようとした。頭がずきんずきんと痛んだ。ぼくはかつて共同で事業をした、そしてものの見事に騙された。が——なんどひとに騙されようとも、なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないではないか。まったく人間を信用しないでなにかやるとすれば、山の中の洞窟にでも住んで眠るときにも片目をあけていなければならなくなる。いずれにしろ、絶対安全な方法などというものはないのだ。ただ生きていることそのこと自体、生命の危険につねにさらされていることではないか。そして最後には、例外ない死が待っているのだ。
(Kindle の位置No.3876-3881)
十一の子供にむかって、世の中にはどんな貴重な荷物でも、捨てて行かねばならないときがあると、どう納得のさせようがあろう?子供はたった一体の人形のためにでも、あるいは象の玩具ひとつのためにでも、燃えさかる建物の中へとって返すのだ。
(Kindle の位置No.4138-4140)
だってお祖母さん、人間はどうしても少しは罪のない嘘をつかなきゃ、おたがいに仲良く暮らしてはいけないって前からいってたもの。嘘っていうものは、悪用しちゃいけないけど、つかわなきゃならないときもあるんですって
(Kindle の位置No.4144)
時間の〈パラドックス〉とか、〈時代錯誤〉をひきおこすことを、心配などはしない。もしも、三十世紀の技術者がタイムマシンの欠陥を克服して、時間ステーションを設け時間貿易をするようになれば、それは当然おこってくる。世界の造物主が、この世界をそんなふうに造ったのだから、仕方がないのだ。造物主は、われわれに目を、二本の腕を、そして頭脳を与え給うた。その目と、手と、頭脳とでわれわれのやることに、〈パラドックス〉などあり得ないのだ。造物主は、その法則を施行するのに、お節介な人間など必要としないのだ。法則は、自らそれ自体を施行する。この世には奇跡などないのだし、〈時代錯誤〉ということは、語義学的には、なんの意味も持っていないのだ。
(Kindle の位置No.4450-4456)
世の中には、いたずらに過去を懐かしがるスノッブどもがいる。そんな連中は釘ひとつ打てないし、計算尺ひとつ使えない。ぼくは、できれば、連中を、トウィッチェル博士のタイムマシンのテスト台にほうりこんで、十二世紀あたりへぶっとばしてやるといいと思う。
(Kindle の位置No.4462)
夏への扉を読みながら浮かんだ作品
公開日:1985年07月03日
ジャンル:冒険映画, コメディ映画, SF映画
監督:ロバート・ゼメキス
出演:マイケル・J・フォックス, クリストファー・ロイド
レビューまとめ
ども。読書エフスキー3世の中の人、野口明人です。世間はコロナやら熱中症で大騒ぎですが、僕はといえば謎の腹痛に悩まされて1週間ほど寝込んでおりました。
そして、お腹の調子が良くなった朝の事。iPhoneが全く電源が入らなくなりました。数ヶ月後に出る予定だった5G対応の携帯を諦め、すぐに購入しました。
その新しい携帯が届いて、乗り換え作業を行っている頃、頭上で突如すごい爆発音がなって、部屋が真っ暗になりました。
どうやらシーリングライトの寿命が切れたみたいで、新しいモノを注文する間、3日ほど真っ暗な部屋で暮らしました。
…とまぁ、こんな感じで不運な事続きでしたが、僕はめげません。夏への扉を探し続けます。前置きが長すぎましたね。
さて、今回扱った『夏への扉』ですが、この作品、記事の中にも書きましたが、日本のファンが選ぶSF小説のランキングには常に上位に君臨するのに、海外や専門家の方々の評価は芳しくないようです。
なんでなんだろうなぁ〜なんて考えてみるんですが、どうにも僕は日本人でして、しかもこういうタイムトラベルものが大好きな人間なので、公平な評価がくだせません。あえて言えば、他の物語に比べると、主人公が成長していない所でしょうか。
それは別に悪い意味ではなく、常に前向きで向上心の塊のような主人公なのです。最初はダメダメで、出来事を通して成長する物語を良しとするのであれば、この作品は当てはまらないのかもしれません。
もちろん、主人公は戦争で家族と妹を亡くして、えらく落ち込んだみたいな表現もあるにはあるんですが、深くは描写せず、とにかく明るい印象が強いです。
さらには、ジンジャエールを好んでなめるピートという猫の存在。ピートは喧嘩も強く、めげる事を知りません。そんな主人公と猫がセットでいるわけですから、もう最強です。どんなに困難に遭遇しても、前向きさとユニークさで乗り越えていく強さがこの作品にはあります。
なんというか、やはり強く生きていくには貫く信念っていうのが必要なんだなぁ〜って思いましたね。根拠がなくとも、信じぬける信念が。一本、ずしんと強い芯を持っている人間は強い。それを一貫して見せてもらいました。
そしてなにより最後にはキレイにハッピーエンド。
タイムリープものの醍醐味である、何度も繰り返すというシーンは出てきませんし、繰り返しても抜け出せない苦悩みたいなのが出てこないので、そーゆーのが好きな場合は物足りなさを感じるかもしれません。
それでも、最後を迎えた時には、ぱっちりとパズルのピースがハマったような爽快感があります。あー!そういう事だったのね!と。
あとはあれですかね、SFって何でもありってわけじゃなくて、ちゃんと理論的に説明されている所がファンタジーと違うわけですが、細かなギミックの説明がしっかりしてあるのも特徴ですかね。
読んでいて、マジでこれ本当にあるんじゃないの?っていうぐらいそれっぽく説明してくれています。メモリー・チューブってのが出てくるんですが、その説明なんて、マジでこれ1956年に書かれたの?ってぐらい、現在のコンピュータっぽいですよ。
コールドスリープについても、本文にはこんな感じで書かれています。
人間の身体を冷却させて、新陳代謝を一時完全に中止させる方法は、すでに三〇年代から、理論的には広く知られていた。しかし、この六週間戦争の勃発までは、それはたんに研究室内の実験であるか、ないしは望みの綱の切れた病人に外科手術を行なう際に限って用いる最後の方法としてしか考えられていなかった。だが、金と人材とを惜しまなければ、どんなことでもできるものだ。血液停滞、冷凍睡眠、仮死状態、新陳代謝人工減少――どう呼んでもそれは勝手だが、兵器廠の兵站医学課は、人間を材木かなにかのように積んでおいて、必要に応じて蘇生させて使う方法をついに発見していたのだった。まずその人間を麻酔し、つぎに仮死状態にしてから冷却を始め、摂氏四度――つまり水が氷の結晶をともなわぬマキシマムの比重に、体温を保つようにする。これでOK。人間は文字どおり完全な人的資源となり、必要に応じて蘇生させるまで冬眠しつづける。
こう書かれると、摂氏四度でやれば、OKなのかー!なんて考えちゃうじゃないっすか。コールドスリープというものがあるのだ!って言い張るんじゃなくて、それを現実に行うにはどのような原理なのかが説明されているんですよ。
しかも、人が30年も寝たら、起きた時にどうやって生きていくのか。経済的問題があるじゃないですか。それもね、納得行く感じで説明されているんですよ。それ読んだらね、マジで出来るならコールドスリープやってみたいわ!って思ってしまうぐらい。
人間の想像力ってすごいですね。想像できる事はすべて実現できるって言葉を信じたくなってしまう。
主人公の強さもあいまって、良い未来を想像出来るのなら、きっと未来は良いものになるはず。そう思わせてくれる作品でした。
あ、ちなみに日本人がタイムトラベル物が好きって話ですが、実は学校でも習ったであろう日本最古の公式の歴史書である日本書紀にタイムトラベルものが載っているんですよ。あれが編纂されたのが8世紀ですから、DNAに刻まれているんですねきっと。
浦嶋子って書かれているらしいですが、これが俗に言う浦島太郎ってわけですね。
亀助けたのに、最後は玉手箱開けて、爺になってなんて不幸な物語なんだ。乙姫さま何渡してくれてんねん!って、詳しく浦島太郎を調べるまでは思っていた僕ですが、実は浦島太郎ってそういう話じゃないっていうのも面白かったです。
興味があれば調べてみてくださいませ。
なんか余計な話ばっかりした気がしますが、そんな感じで、『夏への扉』でした。
ここまでページを閉じずに読んで頂いて本当にありがとうございます!
面白かった!と思ったあなたはチャンネル登録をお願いします!…とYouTuberよろしく言いたい所ですが、これはブログなので、チャンネル登録がないのが残念な所。良かったら別の記事も読んでいただけると嬉しいです。
最後にこの本の点数は…
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夏への扉 - 感想・書評
夏への扉
- 読みやすさ - 91%91%
- 為になる - 82%82%
- 何度も読みたい - 92%92%
- 面白さ - 95%95%
- 心揺さぶる - 90%90%
読書感想文
とにかく主人公がスティーブ・ジョブズのように、逆境に負けずに力強く歩んでゆく姿が描かれています。こんなタイムトラベルものが1956年にすでに存在していたなんて、人間の想像力は偉大です。何かにめげそうになっているあなたはぜひコレを読んで、どんなときでも夏への扉を探す力を手に入れてくださいませ。