虎よ、虎よ!という本を購入したのは、もう10数年前の事。アニメにがっつりハマっていた僕は涼宮ハルヒの憂鬱の中に出てくるキャラクター、長門有希が選んだ100冊という中に入っていたので、アルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』という本を購入したのですが、印象的だったのはその表紙。
タイトルもさることながら、あまりにも強烈なイメージを与えてくるその表紙の本を「面白そうだな」と思いながら、読まずにいたのは、長門の100冊に登録されていた別のSF小説『星を継ぐもの』を読んで、そのあまりにも体質に合わないSFというジャンルに敬遠する気持ちを持ってしまったからでした。
ところが最近、まだこのサイトには感想を書いていませんが、Amazonのセールで安く購入した『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』と『夏への扉』という二つのSF小説を読み、立て続けに自分の中で大ヒットし、「SF小説面白いやないか!」と思い直して、『虎よ、虎よ!』を読むことに決めたのです。
…が、しかし!
まさかここまで表紙やタイトルから自分が思い描いていた内容と違う結末を迎えるとは!
あなたは『虎よ、虎よ!』の表紙を見て、どんな内容を思い浮かべますか?
きっと、その想像はこの本を読むことによって、ことごとく覆されていく事でしょう。
…と、まぁ、最初に長々と語ってもあれなんで、『虎よ、虎よ!』のレビューの方に入らせてもらいます。これを読み終えた後のあなたは、すぐさま書店へ走っているかもしれません…。
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小説『虎よ、虎よ!』 – アルフレッド・ベスター・あらすじ
著者:アルフレッド・ベスター
翻訳:中田耕治
出版:早川書房
ページ数:446
ジョウントというテレポーテーションが一般化した25世紀。敵船に攻撃され壊れた宇宙船の中で、170日間もの間、三等機関士のガリー・フォイルはなんとか生き延びていた。そこへ一船の宇宙船が通りすがる。歓喜したフォイルはすぐさま、救助の閃光信号を放つのだが、ヴォーガと書かれたその宇宙船は、一度停止したのち、無惨にも通り過ぎてしまった。愕然とするフォイル。その時フォイルの心には凄まじいほどの、復讐心が生まれた。ヴォーガ。おれはきさまを徹底的に殺戮してやるぞ。無限の時空をまたにかけた復讐の物語がここに始まる。
読書エフスキー3世 -虎よ、虎よ!篇-
前回までの読書エフスキーは
あらすじ
書生は困っていた。「結局の所、復讐は悲しみしか生み出さない…」と仕事中に寝言を言ったせいで、独り、無料読書案内所の管理を任されてしまったのだ。すべての本を読むには彼の人生はあまりに短すぎた。『虎よ、虎よ!』のおすすめや解説をお願いされ、あたふたする書生。そんな彼の元に22世紀からやってきたという文豪型レビューロボ・読書エフスキー3世が現れたのだが…
虎よ、虎よ! -内容紹介-
大変です!先生!アルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』の事を聞かれてしまいました!『虎よ、虎よ!』とは一言で表すとどのような本なのでしょうか?
“共感覚を刺激するSF小説”デスナ。
…ん?共感覚ってなんでしたっけ?正直な所『虎よ、虎よ!』は面白い本なのでしょうか?
まさに黄金時代あった。雄渾な冒険が試みられ、生きとし生けるものが生を謳歌し、死ぬことのむずかしい時代だった……しかし、誰ひとりそんなことを考えてはいなかった。これこそ、富と窃盗、収奪と劫略、文化と悪徳の未来の実現だった……しかし、誰ひとりそのことを認めていなかった。いっさいが極端にはしる時代であり、奇矯なものにとって魅惑的な時代だった……しかしそれを愛するものとてなかった時代なのである。
引用:『虎よ、虎よ!』アルフレッド・ベスター著, 中田耕治翻訳(早川書房)
コンナ文章カラ始マル“アルフレッド・ベスター”ノ1956年の作品デス。読メバワカリマス。
…うーむ。ぶっちゃけ難しそうな内容ですね。読む前に、ちょっとだけでも先生なりの解説を聞かせていただきたいのですが。
読む前にレビューを読むと変な先入観が生マレテシマイマスノデ…
ちょっとだけって言ってるでしょ!先生のわからず屋!(ポチッと)
ゴゴゴゴゴ…悪霊モードニ切リ替ワリマス!
うぉおおお!先生の読書記録が頭に入ってくるぅぅー!!
虎よ、虎よ! -解説-
今回はアルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』ですね。
あのー、アルフレッド・ベスターって一体誰なんですか?聞いたことないんですけど…。
あらま…。アルフレッド・ベスターを知りませんか。SFの世界ではかなり有名な方だと思っていましたが…。
申し訳ないんですが、ぶっちゃけSF小説ってほとんど読んでないんですよ。SF自体がそれほど得意じゃなくて、スター・ウォーズとかスター・トレックとかも観たことないですし…。あ、でもバック・トゥ・ザ・フューチャーみたいなタイムトラベル的なSFは好きなんですけど。
そうですか。それで言うと、今回のSFはスター・ウォーズよりのSFかも知れませんね。宇宙が舞台ですし。…あ、でもタイムトラベル的なのも出てくるのでバック・トゥ・ザ・フューチャー的とも言えるかも。…あ、でも。ブツブツ。
あのー、先生、話がそれてしまいましたが、アルフレッド・ベスターってSFの世界でそんなに有名なんですか?僕の知っている限りだと、SF小説の大家って『
タイム・マシン』の著者、
H・G・ウェルズとか『
海底二万里』の
ジュール・ヴェルヌぐらいなんですが。
えーっと、ヒューゴー賞というのは聞いたことありますか?
ヒューゴー賞ってネビュラ賞と並んでSFやらファンタジー作品でのアカデミー賞的なやつですよね。
アカデミー賞って言っちゃうと映画の世界になっちゃいますが、まぁ、現存する中で最も古くからあるSFやファンタジーの文学賞なんですよ。
へー。たまーに本の帯に書かれたりしてますよね。『ヒューゴー賞受賞!』みたいな。ハリー・ポッターの本を買った時にも書かれてました。
あー、『
ハリー・ポッターと炎のゴブレット』が受賞していましたね。ヒューゴー賞は1953年からあるんですが、その
1953年の受賞者が、アルフレッド・ベスターなのですよ。
そうですね。『
破壊された男』という作品で受賞しています。そのアルフレッド・ベスターが書いた次のSF小説が『虎よ、虎よ!』なんですよ。
ほほう。これまた不思議なタイトルですよね。『虎よ、虎よ!』って。
原題は『Tiger! Tiger!』なんですけど、ウィリアム・ブレイクの「The Tyger」という詩の冒頭「Tyger, Tyger, burning bright」から取ったらしいです。
“虎よ、虎よ、あかあかと燃える”と日本語に翻訳されていますが、これが非常にこの小説のイメージを表していますね。あかあかと燃える、主人公って感じで。
ん?主人公が虎なんですか?それが燃えるんですか?
あー、内容について話をしないとわからないですよね。虎はまぁ、言ってみれば比喩みたいなものです。
この小説、一体どういう話なんです?あらすじ読んだ限りでは復讐物語っぽいですけど。
それでは、あらすじを紹介していきましょうか。
この小説は最初の20ページほどが24世紀のジョウントについて語られています。
チャールズ・フォート・ジョウントという人が最初にテレポーテーションをしましてね、その名前にちなんでテレポーテーションの事を、この小説の中ではジョウントって呼ぶんですよ。
へー。それが24世紀の事なんですか。まさにSFですね。
ジョウントのルールとか歴史とか色々と語られて、プロローグが終わり、時代が変わって時は25世紀に入ります。
そのたった1世紀の間に、世界は一変してしまったんですね。ジョウントが一般化した事により、人々はどこにでも行けるようになった。しかし、そうなると犯罪が横行する。さらには戦争の仕方も変わってくるわけです。ものを運ぶのも一瞬で済むわけですからね。
あー、なるほど。戦略もクソもなくなりますね。
その結果、惑星間戦争なんてものが勃発するわけです。
あぁ。人類はついに宇宙までも奪い合うようになるのか。
そこで主人公の登場。主人公、ガリヴァー・フォイルは宇宙船ノーマッドの三等機関士として働いていました。“三十歳、筋骨たくましい頑健。給油、掃除、燃料庫係、ややもするとトラブルを起こしやすく、冗談をいってもポカンとしているし、友達もほとんどいないし、人を愛するには怠けものすぎた”と書かれています。
主人公はガリヴァー・フォイルで、マッチョだけが取り柄。ふむふむ。
そのフォイルが乗っていた宇宙船ノーマッドが破壊され、宇宙を漂流しているという所からこの章は始まりましてね、170日間、唯一の生き残りとして孤独に過ごしているわけですよ。
宇宙に独り。約半年間。完全なる孤独ですなぁ。
しかし、ある日突然そこへ救いの手が差し伸べられるんです。自分の味方の目印がついたヴォーガという宇宙船が近くを通るんですね。
フォイルはその船に助けてもらうために、救助用の閃光信号を発します。そしてそれは確実にその宇宙船の目に届きました。ヴォーガは一度ノーマッドに近づき、助けるのかと思いきや、そのまま通り過ぎてしまいました。
この部分は、小説の中ではこんな風に書かれています。
かくて、わずか五秒間のあいだに彼は生まれ、生き、死んだのだった。三十年も生き、六ヵ月も苦痛にさいなまれた果てに、平凡な普通人、ガリー・フォイルはもはや何者でもなくなった。鍵が彼の魂の錠に挿入され扉が開いた。ところがその内部からあらわれた者が、彼を永久に抹殺したのだ。
「きさまはおれを見すてたな」ゆっくりこみあげてくる激怒をこめて彼はいった。「おれを見すてて犬のようにくたばらせようとするんだな。おれをこのまま見殺しにするのだ。《ヴォーガ》……《ヴォーガ・T・一三三九》。いいか。おれはここを出てやるぞ。きさまについていくぞ、《ヴォーガ》。きさまを見つけ出してやる。この仇をとってやるぞ。滅ぼしてやる。殺してやるぞ、《ヴォーガ》。殺してズタズタにしてやる」
胸をやきつくす激怒は、これまでガリー・フォイルをつまらない人間にしていた残酷な忍耐と不活発さを食い荒らし、つぎつぎに爆発する連鎖反応をうながして、ガリー・フォイルを地獄の機械へと変えた。彼は誓った。
「《ヴォーガ》、おれはきさまを徹底的に殺戮してやるぞ」
引用:『虎よ、虎よ!』アルフレッド・ベスター著, 中田耕治翻訳(早川書房) PP.35-36
ほほう。こうして復讐の虎が生まれたわけですね。
いえいえ、まだまだ虎の話は早いです。
ちなみに、これは第二次世界大戦中に魚雷攻撃をうけて、4ヵ月もの間、いかだで漂流していたフィリピン人が、その付近を何度も船を通ったにも関わらず、救助されなかったという実際にあったエピソードがモチーフになっているそうですよ。
えー。実際にあった事なのかよ。人間ってひどいな。
いやなに、誰も助けようとしなかったのは、ナチスドイツの潜水艦、U・ボートって有名だと思うんですけど、こういうのを囮にして商船を攻撃するっていう手がよく知られていたかららしいですよ。
戦争って残酷…。本当に助けてほしい時はどうすれば良いんだ。
話をもとに戻しますが、フォイルは宇宙船に残っている材料を使って、なんとかノーマッドを動かすわけですね。そしてサルガッソ小惑星という場所にたどり着くのです。
火星と木星の間にある場所みたいで、そこには住民が住んでいたんですが、彼らはその時代の唯一の野蛮民族なんだそうです。
話によると、22世紀に宇宙船が遭難して、取り残された科学調査団の後裔なんだそうで、科学的でありながら、ちょっと宗教チックな奇抜な事をする人たちなんですね。
科学なのに宗教。相反するものも一緒になる時代なんですね。
彼らは自分たちの星の近くを漂流していたフォイルの宇宙船を捕まえて、そこで気を失っていたフォイルを発見します。それだけだったなら良かったんですけど、自分たちの星に生きて初めて到着したフォイルを神聖視して、自分たちの仲間に入れようとするのです。
そしてフォイルをノーマッドと命名し、彼の顔に入れ墨を入れるんです。
その入れ墨が、この本の表紙の絵ですね。見てみてください。額にN♂MADって描かれているでしょう?
…あ、ホントだ!拡大してみると、かすかにノーマッドって読めますね。これが、フォイルだったのか。恐ろしい顔だ。
その後、モイラと呼ばれる奥さんを勝手にあてがわれたりするんですが、復讐しか頭にないフォイルは小ロケットを奪って、サルガッソ小惑星を脱出します。
その後、なんとか地球に戻ってきたフォイルは、ヴォーガを作っているプレスタインという会社に潜入し、ヴォーガを爆破しようと試みます。
しかし、その計画も失敗し、フォイルはプレスタイン社の首長、プレスタインに目をつけられ、拷問を受けます。
ん?拷問?拷問って何か情報を吐き出させるためにすることじゃなかったでしたっけ?
どうやら、フォイルが乗っていたノーマッドという宇宙船に、非常に重要なものが積載されていたらしいのです。
へー。それでプレスタインはノーマッドの場所を知りたいわけですね。
ですが、頑強なフォイルは全く口を割りません。出てくる言葉といえば「ヴォーガ」だけなのです。
結果、フォイルは誰も脱出できた事がないと言われている真っ暗闇の監獄、グフル・マルテルという場所に幽閉されることとなります。
おお。話がプリズン・ブレイクみたいになってきた!もしや身体の入れ墨が地図になっていたり…?
真っ暗闇の監獄なので、もしそれが地図だとしても見えなかったでしょうね。そこでフォイルは10ヵ月ほど閉じ込められるんですが、その中でジスベラ・マックイーンという女性に出会うのです。
ええ。なので正確に言えば声だけでやり取りするわけですね。
このジスベラは知的な女性で、フォイルの話を聞くと、フォイルがなんて馬鹿なのだと指摘しました。
いえいえ。復讐しようとしている相手が違うと指摘したのです。
ヴォーガ、ヴォーガと言っているけど、それは単なる鉄の塊であって、本当に復讐しないといけないのは、それを運転している人間であると諭します。
フォイルはそれすらも気が付かないぐらい、マッチョが取り柄の脳筋男だったんですねぇ。
フォイルはジスベラに出会った事で、知識をつけようと努力し始めます。筋肉マンが頭脳をも手に入れるわけですね。
そして脱出計画を立てるわけですが、綿密に計画を立てていたジスベラはさておき、やっぱりまだまだ筋肉の塊でしかなかったフォイルは強引に脱獄するんです。
ローマは一日にしてならずって言いますもんね。知識をつけようと決意した所で、すぐに付くわけではありませんよ。
まぁ、その脱獄もフォイルの筋肉が功を奏し、成功して真っ暗闇の中から脱出するわけですが、そこで初めて、ジスベラはフォイルの末恐ろしい入れ墨の顔を見るわけです。
ああ!確かに!声だけのやり取りだったんですもんね。
…と、まぁ、あらすじはこんな感じで。
ええ!?もう終わり!?復讐はどうなっちゃうの!?
いやはや、まだまだ話の3分の1も紹介していませんが、ぶっちゃけこの小説のラストは復讐劇でもなんでもなくなるんですよ。ってか、途中から、収集つかなくなってるんじゃね!?ってぐらい話が大きく展開していくんですよ。
だからですね、タイトルも『虎よ、虎よ!』と復讐劇っぽい響きを持っているし、表紙も恨みに駆られた男っぽい感じだったので、そういう話なんだろうなぁ〜って思っていたら、アルフレッド・ベスター自身もラストをどうするか模索していたみたいで、全然違う終わり方を迎えるんです。
それを言っちゃー、この小説を読む楽しみがなくなってしまいますが、かなり変わった書き方をしています。翻訳も大変だったでしょうね。
ここで一つ、アルフレッド・ベスターの語った言葉を引用させてもらいましょう。
わたしが賢明に開発しようと努力しているのは、視覚と、音響と、文脈とをドラマチックなパターンに融合させる技術である。読者の目と耳と心を一つに溶け込ませ、それらの各部分の総和より大きいものを味わってもらいたいのだ。わたしの奇妙な信念からすると、本を読むことは、本を読む以上の何物かでなくてはならない。それは、全感覚的な知的体験でなくてはならないのだ。
引用:『虎よ、虎よ!』アルフレッド・ベスター著, 中田耕治翻訳(早川書房) p.436
視覚と音響と文脈を融合?どういう事なんですか?
共感覚。あれですよね、音に色を感じるみたいな、五感が入り混じって感じるような。
ええ。シナスタジアとも言われていますけどね、アルフレッド・ベスターは、この物語にふさわしい圧倒的なフィナーレが思いつかなくて困っていた時に、とあるイタリアの若い映画監督と話をしていたらしいんです。アルフレッド・ベスターはテレビの脚本も手掛けていたんでね。
調べてみたら、アルフレッド・ベスターって、スーパーマンとかヒーロー物の脚本なども手掛けているんですね。
ええ。それでテレビって実験的な事をさせてくれないよなぁ〜とかぼやいている時に、テレビの脚本で共感覚を扱ってみたい的な話が出たらしいんですよ。その時に、コレだ!ってピンと来たんですね。
へー。でも、文章で共感覚ってどうやって表現するんっすかね。
それはぜひ読んでからのお楽しみですが、私は読んでいてある種の気持ち悪さを感じましたね。読んでいて乗り物酔いをするみたいな。文字が絵に見えたり、縦に目を追っているだけなのに、なぜか目が回ったり。
なんとも不思議な話だなぁ。まさか復讐劇がそんなラストを迎えるとは。
ということでね、1956年と少し昔の作品ではありますが、全く古さを感じさせず、今読んでも新しい発見が出来るSF小説なので、良ければSFを苦手とする君も読んでみると面白いかも知れませんよ。
確かに。最近はひたすら映画で復讐劇を観ていましたが(
狼の死刑宣告とか
ジョン・ウィックとか)、残酷なラストが多かったので、そういうラストなら読んでみようかな。
“虎よ、虎よ、あかあかと燃える”にイメージがピッタリという話を完全に忘れていましたが、まぁ、それも読めばわかるでしょう。虎があかあかと燃えますから。
結局の所、復讐は悲しみしか生み出さないって事ですね!
批評を終えて
以上!白痴モードニ移行シマス!コード「パラス・アロン・アジノマス!」
「結局の所、復讐は悲しみしか生み出さない…」って、あれ?僕は一体何を…。
何をじゃないよ!仕事中に居眠りこいて!それにしても、最大の復讐は許す事だって誰かが言ってたな。
え?あれれ?読書エフスキー先生は?
誰だそれ。おいおい。寝ぼけ過ぎだぞ。罰として一人でここの案内やってもらうからな!
えーっ!?一人で!?で、出来ないですよ〜!!
寝てしまったお前の罪を呪いなさい。それじゃよろしく!おつかれ〜
ちょっ、ちょっと待って〜!!…あぁ。行ってしまった。どうしよう。どうかお客さんが来ませんように…。
…あのすいません、虎よ、虎よ!について聞きたいんですが。
(さ、早速お客さんだーっ!!ん?でも待てよ…)いらっしゃいませー!アルフレッド・ベスターの1956年の作品でございますね。おまかせくださいませ!
あとがき
いつもより少しだけ自信を持って『虎よ、虎よ!』の読書案内をしている書生。彼のポケットには「読書エフスキーより」と書かれたカセットテープが入っていたのでした。果たして文豪型レビューロボ読書エフスキー3世は本当にいたのか。そもそも未来のロボが、なぜカセットテープというレトロなものを…。
名言や気に入った表現の引用
「一杯の茶を飲めれば、世界なんか破滅したって、それでいいのさ。by フョードル・ドストエフスキー」という事で、僕の心を震えさせた『虎よ、虎よ!』の言葉たちです。
進歩は極度の奇形の結合による、およそ対蹠的なものの不調和な合併から生じる。
pp.21-22
誰だって他人が自分のことを内心どう思っているかなんて知りたくありませんものね。
p.58
闇と、沈黙と、単調さが人を狂気に追いこんだり自暴自棄にするのだ。
p.113
もし先がとがってなかったら、この世でいちばん強力な鑿だって、使いみちがないってこと。
pp.119-120
おれたちのすることはいつも当然なんだよ、ただ、ときどきしてはいけないことをしてしまうんだ
p.156
十五歳のときに欲しいと思ったものが五十歳になって全部手に入ったら、そいつが幸福ってものさ。
p.157
彼がわたしをつかまえることからはじまったんだけど、わたしが彼をつかまえることで終わったのよ
p.278
外部に対してどれほど自分をふせいだところで、いつも内側の何かの影響をうけているものだからね。裏切りに対してはふせぎようがない。しかも、われわれは誰しも自分を裏切っている
p.311
単純なものは何ひとつないことを理解することを学んだ。単純な答などはない。はげしく誰かを愛しながら、きらうこともできる
p.351
人間にとりつくもののなかでもっとも始末のわるいもの。私は良心という珍奇な病気にかかったのです
p.370
これがわれわれすべての姿だ。、われわれは自由意志についてさかんにしゃべっている。しかし、われわれはただ反応するだけだ……きまりきったやりかたで機械的に反応するだけだ。それで……わたしはここにいる。つまり、反応しようと待ちかまえているだけだ。ボタンを押してごらんなさい、わたしはとびあがりますよ
p.413
あなたはきっと反問なさるでしょう。なぜ生きるのか? それはおききになりませぬよう。ただ生きることです
p.421
あなたがたはみな奇形です。しかしいつでも奇形だったのです。人生は奇形です。だからこそ、それがその希望であり栄光なのです
p.422
諸君はブタだ。ブタみたいに阿呆だ。おれのいいたいのはそれだけだ。諸君は自分のなかに貴重なものを持っている。それなのにほんのわずかしか使わないのだ。諸君、聞いているか? 諸君は天才を持っているのに阿呆なことしか考えない。精神を持ちながら空虚を感じている。諸君全部がだ。諸君のことごとくがだ……
p.429
何か信ずるものをもつことは必要ではない。どこかに何か信ずるに値するものがあることを信ずることが必要なのだ
p.431
わたしが賢明に開発しようと努力しているのは、視覚と、音響と、文脈とをドラマチックなパターンに融合させる技術である。読者の目と耳と心を一つに溶け込ませ、それらの各部分の総和より大きいものを味わってもらいたいのだ。わたしの奇妙な信念からすると、本を読むことは、本を読む以上の何物かでなくてはならない。それは、全感覚的な知的体験でなくてはならないのだ。
p.436
引用:『虎よ、虎よ!』アルフレッド・ベスター著, 中田耕治翻訳(早川書房)
虎よ、虎よ!を読みながら浮かんだ作品
著者:アレクサンドル・デュマ・ペール
翻訳:山内義雄
出版:岩波書店
ページ数:311ページ(全7巻中1巻)
実は、今回の『虎よ、虎よ!』は『モンテ・クリスト伯』をモチーフとした作品らしいんですよ。
あー、それで言えば、日本のアニメ業界が、虎よ、虎よ!をアニメ化したかったらしいんですが、著作権の問題とかでおじゃんになって、代わりにモンテ・クリスト伯を『巌窟王』としてアニメ化したんですよね。観ましたよ私。
あのアニメは非常に不思議な色使いのアニメでしたよね。それを思い出しました。家の本棚にはケースに入った『モンテ・クリスト伯』が綺麗に飾ってあります(読んだとは言っていない)!
レビューまとめ
ども。読書エフスキー3世の中の人、免許更新前に前髪を切りすぎて凹んでいる野口明人です。
いやはや、久しぶりに記事書きましたが、実は本自体は結構読んでいるんですよね。
前回までは、ずっとポール・オースターの作品を扱っていて、リヴァイアサンの次の作品である『ミスター・ヴァーティゴ』も読んだっちゃ読んだんです。
ですが、どうも記事を書く気力が起きなくてですね、ひたすら本を読んでは感想の下書きだけを書いて終わるという事が続いておりました。
が、しかし。今回の『虎よ、虎よ!』に関してはぜひとも記事にせねばならん!と駆り立てられまして。
今まで数々と本を読んできましたが、ここまで想像していた内容のはるか上を越えていくラストを叩きつけられた事はなかった!と、感動したのです。
ぶっちゃけ、読んでいる途中まではですね、翻訳が悪いのか、原文が合わないのか、とにかく自分の音感リズム(頭の中で読むときの言葉のリズムのようなもの)に合わなくて、読みづらくてたまらなかったのです。なんじゃい、この日本語は!とかツッコみながらね。
ですが、それでもやっぱり内容が面白くて読み進めていたんです。そしてペラペラと読んでいるうちに、だんだんストーリー展開が怪しくなってきて。復讐劇じゃなかったんかい!もしかして、エヴァンゲリオンのテレビのパターン!?とかラストを想像して、嫌な予感を抱いたわけです。
ところがどっこい。
自分でも何を読んでいるのかわからなくなるほど、不思議な世界に連れられて、読み終わった頃には、「すげー作品だった。これはすげー作品だった!!」とすぐさまブログ記事の下書きを始めるに至ったのです。
とにかくすげーんすよ。アルフレッド・ベスターって、すげーんすよ。
SFってちょっと苦手意識あったんですが、もうこれを読んでしまうと他のSFも読まずにはいられませんね。アルフレッド・ベスターがヒューゴー賞を受賞した時のライバルは、これまたSF小説の傑作と言われているアーサー・C・クラークの『幼年期の終り』だったんですよね。
1950年代ってどれだけSF小説の宝庫なんだ。SFの黄金時代と言われているだけありますね。本棚に飾ってあるSF小説を眺めてみると、そのほとんどが1950年代の作品なんですよ。
あぁ。SFブーム来たかも。
とりあえず、気に入った作家は全部読んでみるという癖のある読み方をしてしまう僕ですが、当分の間は作家に固定せず、飽きるまではひたすらSF小説を読んでいきたいと思います。それと並行して、長門有希の100冊を読破してみようかな。
それでは、まだまだ書き溜めた下書きの方はあるので、ぼちぼち記事をあげていきたいと思います。良ければお付き合いくださいませ。
ではでは、そんな感じで、『虎よ、虎よ!』でした。
ここまでページを閉じずに読んで頂いて本当にありがとうございます!
最後にこの本の点数は…
虎よ、虎よ! - 感想・書評
著者:アルフレッド・ベスター
翻訳:中田耕治
出版:早川書房
ページ数:446
虎よ、虎よ!
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読みやすさ - 68%
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為になる - 71%
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何度も読みたい - 89%
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面白さ - 96%
-
心揺さぶる - 86%
82%
読書感想文
内容が難解というわけではないのですが、日本語が少しくどいので読みづらさはあるかもしれませんが、それに目をつぶりたくなるぐらい、内容は面白いです。テレポーテーションが一般的になった時代、一体どんな展開になるのかとハラハラドキドキしながら読みました。SFが苦手なあなたもぜひチャレンジを!